fc2ブログ

    品川用水(下見編) 2009年04月13日 品川用水 トラックバック:0コメント:0

    場所は細川家屋敷、当主、細川○○の守がつぶやいた。

    「佐久兵衛、庭に池を作ったのはよいが、水が無くて困っておる。どこぞの川から水を引くわけには参らぬか」

    そばに控える白髪交じりの隠居者は、ここぞとばかりに発言した。

    「殿、そのことにつきまして妙案がございまする」
    「名主の権兵衛が申しておりましたが、このあたりは夏になると水涸れし、付近の農民も困っていると申しておりました。
    しかしながら、立会川より引けば碑文谷村の村民に、目黒川より引けば目黒村の農民どもが騒動を起こしましょう。
    農民のためと称し、お上が引いた玉川上水より水をいただけば、無難であるかと存じます」

    という会話があったかどうかは知らないが、この品川用水は品川に領地のあった細川家屋敷に水を引くために作られたと伝えられている。

     難工事とは言わないが、測量は大変だったと思われる。なぜなら、ちょっとでも間違えると、南に流れる仙川に水が落ちてしまい、北にずれると目黒川の源流である烏山川に流れ込んでしまう。

     目黒区内に入ってからも、呑川の源流部にぶつかるように交差し、立会川、羅漢寺川をかすめるようにして、ようやく品川区へ到達する。

     品川用水を理解するためには地図上、呑川との関連が重要である。

    下見編

     夜の9時過ぎに自転車にまたがった。呑川の柿の木坂源流部と品川用水の接点を確かめようというわけである。源流がわかっていないときは下流からたどる方が早い。

     環状七号線から駒沢通りを西に向かうと下り坂になり、底が呑川の柿の木坂支流だ。ここから北上し呑川の源流を目指す。立派な緑道になっているので、道に迷うことはない。しばらく進むと狭くなり片側歩道の緑道になってしまう。さらにすすむと歩道もなくなって住宅街の細道となる。

     しばらく行ったり来たりしたが、この片側歩道の終点部が南に流れる呑川の源流部であり、西から東へ流れる品川用水の共通の場所になっているようだ。

     本日の基本的な調査は終了なのだが、本当にこれが品川用水なのか判定できないので、この道をたどって下流に向かう。住宅街を抜けると環七に斜めにぶつかる。反対側も斜めに道が続いている。どうやら品川用水の名残に違いないようだ。これを下ると途中に野沢水車の説明があった。付近の住民の作らしく手書きで丁寧に綴ってある。文章をここに記載したいが、まだ解読できていないので完成したら載せようと思う。

    概要は

    1. 品川用水の脇に道が通っており、品川道と呼ばれていた。
    2. 昔は現在の道の半分ぐらいしかなかった。
    3. 野沢水車
    4. 野沢水神について

     なおも、下ると駒沢通りにぶつかる。反対側は水路跡らしきものがない??

     すぐ横を見ると歩道がこの部分だけ広くなっており、部分的に駒沢通りに平行していたようだ。その歩道もすぐに終わり駒沢通りを渡り、東横線学芸大学駅方面へと道が延びる。東横線のガード下に出れば、この先は目黒郵便局まで続いているのは判明している。ここはバス通りになっているのだが、このバス通りこそが品川用水のなれの果てであることがわかった。

    スポンサーサイト



    品川用水(プレ) 2009年04月18日 品川用水 トラックバック:0コメント:0

    現在判明しているポイントだけ示す。

    IMG_0791.JPG 桜新町駅
    IMG_0795.JPG 桜神宮
    IMG_0797.JPG 駒沢公園
    IMG_0751.JPG

    東根地区

    呑川源流部

    IMG_0740.JPG

    野沢交差点

    IMG_0742.JPG

    野沢交差点

    野沢方向

    上馬交差点付近では、国道246を越えて北側に水路を採れば駒止通り世田谷通り側に水が落ちてしまう。丘陵部の辺縁をなだらかに横切り野沢方面へと水を導くぎりぎりの進路だったのだろう。 

    IMG_0734.JPG 野沢水車跡
    IMG_0558.JPG

    碑文谷池公園

    品川用水はこの北側を巻くように通る。

    碑文谷池公園付近。碑文谷池公園は環状7号線を丘の稜線とし、なだらかに落ち切った平坦部にある。それでも自然の流れに任せれば、碑文谷池に注いでしまったのだろう。用水は碑文谷池の北側をぐるっと迂回し学芸大学駅の北側に至る。

    IMG_0727.JPG 目黒郵便局付近
    IMG_0732.JPG

    林試の森公園付近

    現目黒郵便局の前を通過し、林試の森の北側を流れる。ここも問題点だ。水路の方向をしっかりしてやらなければ、羅漢寺川を経て目黒川に流れ込んでしまう。
    北には羅漢寺川が、南には立会川が流れている。ここの設計も難しかったに違いない。



    品川用水実践編(下流域) 2011年05月09日 品川用水 トラックバック:0コメント:0

    東海道五十三次を走破したい。

    これは子どもの頃からの希望。今日、それを開始してみる。

    もちろん、江戸時代のように2週間もかけて歩いて行くわけではなく、適度に切りながらつなげていくことになる。

    いつものことなのだが、なんか気がかりがあると出発するまでに決心がにぶることになる。今回の問題は日本橋までどうやっていこうか。日本橋を起点にすれば格好いいのはわかっているけれど、わざわざ日本橋まで自転車持ち込むのに気が引けた。それに通過する銀座は日曜の歩行者天国で自転車は走行不可のはずだし。

    どうせ切り貼りでつなげていくのだから、日本橋からではなく途中からでもよろしかろうと、とにかく出発することにした。いま出発しないと、せっかくの休みを一日無為に過ごしてしまいそうだったから。

    いままでの川の探検に比べるとGPSの威力が発揮されるだろうと、もうずいぶん昔に入力済みだった東海道の一里塚データと宿場データをGPSにほうりこんで出発となる。

    途中から東海道に乗り入れるということになれば、自宅からは品川あたりが一番の近所となる。品川めざして走り出した時、

    「まてよ、品川に行くのだったら、品川用水跡を走れば一石二鳥ではないか!」

    とひらめいた。

    20110508-1.jpg

    目黒通りを目黒郵便局交差点で南東方向へ折れる。

    このルートは環状線として企画されていたようで中野の方まで続いている。

    最初の信号を過ぎ、歩道橋を過ぎたところで斜め東方向に左折する。

    R0011557.JPG

    見えてきたのは、いかにも水路を暗渠化しましたというような歩道。

    この道がしばらく続く。

    R0011558.JPG

    武蔵小山駅・小山台小学校付近

    いよいよ完成間近となった不動前からの立派な道路。

    区画整理が出来ていない、この地域には似つかわしくない立派さ。

    R0011561.JPG

    朝日地蔵尊

    寛政元年銘石造道標

     寛政元年(一七八九)目黒道と碑文谷
    道との交差点に建てられた高さ約一メー
    トルの道標で、江戸時代多数の参詣人を
    集めた目黒不動尊と、碑文谷仁王尊への
    行先を示したものである。建立者は江戸
    の商人や職人たちで、願主は即應である。
     昭和三十一年道路改修のため僅かなが
    ら移動され、左右方向が反対になった。
     なお堂内左奥にある小さな道標は、明
    治三十四年に建てられた摩耶寺への案内
    である。品川区教育委員会

    R0011560.JPG

    朝日地蔵尊付近は変形4差路で、うち3本が用水路だったらしい。

    今回は、大崎・品川方面を目指す。

    GR0011566.JPG

    車もあまり通らないし、探索にはちょうど良い道。

    交通量の割に道幅が広いのは、用水を拡幅したためだろうか。

    R0011568.JPG

    首都高2号目黒線

    戸越出入口

    品川用水はこの下を通っていた。

    GR0011570.JPG

    首都高の2本の道路をくぐると、眼下には

    東急池上線、桐ヶ谷陸橋

    線路を通すためこれだけ深く掘ってしまっては、用水が残る余地はありませんな。

    R0011572.JPG

    なおも直進すると大崎のビル群が見えてきた。

    松本零士の未来画のようだ。

    GR0011576.JPG

    大崎ウエストシティタワーズ

    品川用水は、ここいら辺りで左折し、大崎駅方面へ流れ落ちていくらしい。

    大崎駅へ出てしまうと、その先は目黒川へ流入して、すぐに終了となってしまうので、用水とは、ここでお別れして東海道方面を目指す。


    さて、ここで品川用水とはお別れして東海道方面へ向かうことになったわけだけれど、

    R0011577.JPG 真っ直ぐ下ると、JRの山手線・東海道線・湘南新宿ラインの複雑に入り組んだ交叉部に出る。
    20110508-2.jpg コの字状に走行しているのは、地下のトンネルをくぐって反対側に出たため。
    GR0011583.JPG これが、そのトンネル。
    R0011584.JPG この線路に囲まれた三角地帯には製薬会社の第一三共の研究所がある。
    R0011585.JPG

    この三角地帯を脱出する最後の高架下がみえてきた。

    上はJR東海道線

    R0011588.JPG

    なんと「碑文谷架道橋」という名称になっている。

    碑文谷といえば本日の出発点、目黒区碑文谷でした。

    この道(用水跡)を伝っていけば碑文谷方面にでる道だから、ガードにこんな名称がついているのだろうか。