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    目黒区神社仏閣初詣 2009年01月03日 東京 トラックバック:0コメント:0

    目黒区神社仏閣初詣
    IMGP1151.JPG 碑文谷 円融寺 
    IMGP1152.JPG

     目黒不動尊 泰叡山瀧泉寺

    不動明王を本尊とする江戸時代より庶民に親しまれた寺

    IMGP1154.jpg

    目黒不動尊 大日如来座像

    天和3年(1683年)の作

    IMGP1156.JPG 目黒不動尊

    IMGP1157.JPG

    大鳥神社


     

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    田町・お台場・浜松町 2009年03月15日 東京 トラックバック:0コメント:0

    ちょっとした用事のついでにお台場を走ってみた。
    お台場に自転車を持ち込むには、

    1. 晴海→豊洲→有明→お台場と一回りしてくる 
    2. ゆりかもめで輪行する
    3. 浅草方面あるいは浜松町方面から船で持ち込む
    4. 車で持ち込む

    という方法がある。残念ながら、レインボーブリッジをそのまま渡ることはできない。

    IMGP1269.jpg 田町駅改札を芝浦口に降りる
    IMGP1270.JPG

    エレベーターを降り、まっすぐ行くと目指すレインボーブリッジに到着するはず。

    だけど駅を左(北側)に走り出す。

    02.jpg 芝浦公園に到着。この公園はモノレールの下が敷地になっている。下から見上げてモノレールのお腹をみることができる。
    03.jpg 田町駅芝浦口のメインコンコースに復帰して、レインボーブリッジを目指す。
    IMGP1276.JPG

    レインボーブリッジに到着

    桁間918m、歩行者用通路は1.7km。

    歩いて所要時間20分程度とのこと。

    IMGP1277.JPG

    ここからエレベーターで7階まであがり、一般車線の横の遊歩道を歩くことができる。

    ところが自転車は通行不可。押して歩くこともできない。

    カバーを掛けて輪行状態でなら持ち込むことができる。

    IMGP1280.JPG

    これが歩道の状態。こんなところ折りたたんだまま歩きたくはないよなあ。注意書きでは豊洲から有明と回ってこいとある。さすがに遠いでしょう。

    IMGP1282.JPG

    見晴らしはすばらしい。だけど隣の車道はびゅんびゅん車がうるさい。

    そこで戻る。芝浦ふ頭駅からお台場海浜公園までゆりかもめに乗せる。

    IMGP1289.JPG

    お台場海浜公園で下車。

    お台場の海沿いを走る。道は細いし凹凸はあるけれど歩行者用の下道を走った方が面白いですな。ジョイポリスやホテル日航東京沿いの車道を走るよりは。

    IMGP1295.JPG

    siokaze.jpg都立潮風公園。いいですねここ。

    IMGP1300.JPG

    ここからUターン。ホテル日航、ジョイポリス、船着き場、海浜公園を過ぎて・・

    IMGP1310.JPG

    daiba.jpgお台場公園

    第三台場 100年ちょっと前の遺跡だね。

    IMGP1346.JPG 帰りは船で帰還。切符売り場で確認して折りたたみカバーまで掛けたのに、後から乗り込んできたサイクリストは、そのまんま。だったら先に言ってよねえ。
    IMGP1345.jpg あっという間でしたが、快適な船の旅でした。
    IMGP1348.JPG

    日の出桟橋到着

    ここから浜松町駅はすぐそば(手ぶらなら)。

    浜松町へのプロムナードを折り畳み自転車を押して歩くのには、ちょっと遠い。

    山手線、ゆりかもめ、船、山手線、最後にバスまで乗っけてしまった。結局4回も折り畳み・伸展をくりかえした。
    なんか今日は、自転車を漕いでいるより、折りたたんでいた方が長いような一日だった。

    東京の港町 2012年01月15日 東京 トラックバック:0コメント:0

    東京は海に面している。品川から芝、浜松町、築地、晴海、葛西。これに加えて新川、隅田川、荒川と水運のためにある。

    ところがである。
    横浜や神戸に思いつくような港町がない。港の写真を撮りたいと思って、探してみたのだが適当なロケーションが存在しない。
    ここでいう私の港町のイメージとは、ディズニーシーのヴェネチア運河のようなものだと思ってほしい。
    港があって、コンクリートでもいいけど石積みの船着き場があって、路地を挟んで煉瓦造りのレストランやバーがあって・・・石畳の路地にはガス灯が灯いている。
    ここまで定型的ではなくとも、水面に面した飲み屋が欲しかった。勝鬨橋の袂にあるデニーズは川や橋がよく見えて、お手頃だけれど、ファミレスは勘弁して欲しい。

    まずは、google earthで空から観察してみる。google earthは便利だ。
    なにしろ、海や川に面したレストラン自体がほとんど存在しない。1~2軒みつけたに留まる。googleに載っていない食堂もあるだろうし実際に行ってみることにしようか。

    経路は東京駅から八丁堀、晴海。南下して浜松町まで出ようというもの。

    晴海・豊洲以東もあり得るが、この先は工場地帯になってしまうので期待薄。浜松町から南もコンテナ埠頭や工場地帯であるので確率が低いと見た。

    本日の出発点 東京駅
    最近の建築のガラス張りスタイルって、どうも馴染めない。どうしてこんなものが一国の玄関に採用されるのだろう。

    さて、歩き始める。東京駅から5~10分も歩けば、かつては海だったところ。亀島川にかかる亀島橋からスカイツリーが見える。
    南方面は墨田川方面に流れている。
    ん。一軒発見(ちょっといめーじとちがうけど)
    De Ichibaというらしい。
    残念ながら準備中。それとも日曜日はお休みなのかな。イタリアンレストランのようですな。
    帰ってWebで調べたら普通のイタリアンレストランらしい。今度行ってみよう。
    沖縄料理と和食の店もあった。
    けれど、川側は閉じられていて川面を見ることはできないようだ。下のボートがあるところ。
    亀島川も、この先は墨田川に合流してしまう。下は亀島川水門。

    対岸は、佃島の石川島あたりになる。


    こちら側は、まだ古い建物が残っていた。

    このあたりは、川に面して墨田川テラスという散歩道が整備されている。
    一段上の住居との境は古い雰囲気。こういうのも生活臭があっていい。
    住居と堤防の境は、私道ではなく国土省の管轄のようだ。
    このコンクリートの囲いが何だかわかる方はいるだろうか?=正解:ごみ置き場。上と手前にフタがあったはず。

    佃大橋を佃島に渡る。対岸に何軒か看板が見える。佃島なら飲み屋があるかもしれない。期待ワクワク。
    さて・・・
    うーん。佃煮屋さんでした。上の写真で見えた三つの看板すべて佃煮屋さんでした。
    ここの奥に入ると住吉神社がある。
    飲み屋でもないし、川も見えないけれど銭湯を発見。
    裏は堀になっていて、煙突が見える。
    煙突

    これはこれで風情があっていいかもしれない。でも風呂は小さそうだなあ。
    近くに、けっこう繁盛していそうな中華屋さんはあった。
    完全にオブジェと化している和舟。

    さて、川を下る。遠く見えるは勝鬨橋

    聖路加タワーの脇になんか料亭らしきものが・・・
    即刻調べて見たところ、しゃぶしゃぶ=鍋料理の治作というところらしい。
    三菱の祖、岩崎弥太郎の別荘をそのままつかっているのだそうな。始めて知った。お一人様2,500円から。そのうち使ってみよう。

    下は、勝鬨橋からみた築地卸売市場。この日は船が留まっていた。

    築地市場内にある波除神社
    築地市場を越えると、もうすぐ浜離宮なのだった。
    浜離宮って浜松町が最寄り駅だよな(新橋の方が近いかもしれない)。築地の隣が浜松町?って、こんなに近かったんだ。
    今日の散歩はここまでだけど・・・やっぱり港町ってないでしょ・・・

    港の酒場に行きたいよぉ・・・

    出雲展を見に行った 2012年12月30日 東京 トラックバック:0コメント:0

    ?2012年11月25日まで、東京国立博物館で開催されていた出雲展を見に行った。2012-10-31

    title.jpg

     見どころは1996年に発見された大量の銅鐸を埋蔵していた加茂岩倉遺跡と1983年に大量の銅剣が発掘された荒神谷遺跡。それと復元模型の出雲大社であった。
    これを見て、なんで銅鐸が一度に同じ場所に埋蔵されていたのか考えてみた。

    DotakuBronze.jpg

    ~ 銅鐸に関する一推考 ~

    お茶ノ水博士817号 2012-12-30

     銅鐸とはズバリ、「本坪鈴(ほんつぼすず)」なのではないだろうか。いわゆる神社のガラガラである。 

    SUZU.JPG

     我々は、用途不詳の道具があると、祭祀に使用したと曲解する癖があるが、その祭祀がどういう物であったかは空想の域を出ない。一方、日本の文化は連綿と続いており、建築物ですら残存しているのだから、祭祀の形式も現在残っている慣習から推測されるべきなのではないだろうか。もちろん銅鐸が現在と同じように、本殿の正面に吊り下げられていた訳ではないかもしれない。 仏寺と異なり、この鈴が一般的になったのは戦後という説もあるが、宗教行事において音の出る物体を使うことは普通であると考えられる。

    量的な問題
     現在、日本国内で発掘された銅鐸は約500個。日常生活に使われたと仮定するには、出土する数は少ない。当時の神社の数として考えれば、おおよそ一致するでのではないだろうか。

    出土場所の問題
     銅鐸が発掘される場所は、丘の中腹であるとか畑の中であるとかがほとんどである。言い換えれば集落の中心地からはややはずれているということである。 山岳信仰をもちだすまでもなく、神社仏閣は市内の中心部に位置していたわけではない。

    加茂岩倉遺跡出土に関する考察
     加茂岩倉遺跡からは、入れ子状態になった銅鐸が計39個出土している。横穴に掘られた入れ子状態で、かつ互い違いに並べられていたらしい。イメージ的には、段ボール箱に入れられた状態である。もし、神聖な物であるならば、このような並べ方はしなかったであろう。
     加茂岩倉遺跡からわかるのは、収納状態であったということである。「用済み」であったが、すぐに捨てられず、鋳つぶすこともはばかられたものと考えるのが妥当である。
     その保存作法から推測して、日常生活に使われた物ではないが神器でもない。しかしながら、同様の目的で、つまり神と人とをつなぐ目的で使用されていた物ではないだろうか。

    具体的な用途
     銅鐸は鋳造物としては、現在の製造技術でも困難なほど薄く作られているという。これは音を意識した結果に他ならない。

    大きさの問題
     銅鐸は、最大で1m60cmのものもあるが、おおよそ30cmグループのものと、60cm前後のグループに大別される。これは天井周囲に吊り下げる大きさに適している

    様式から
     大きさと形式は大同小異であるが、装飾は差別化が認められる。大きさと形状の一致は実用であったことから必然的に決まったものなのだと考えることができる。一方、装飾に関しては固定的なものがない以上、宗派などの規制にとらわれず、自由に任されていたと考えることができる。したがって、神器ではなく、各地の工房が製造していた一般的な物なのではないだろうか。

    出雲出土に関する考察
     出雲だけが集積して発掘されており、その鋳型の発見により各地から運搬されてきたと言うことが判明している。一方、銅鐸の鋳型は出雲では発見されておらず、近畿一帯に分布している。これは、出雲に神が集まるという神在月に関与するということが関係するのではないだろうか。
     つまり、一年に一度、神無月に出雲に出向く際、銅鐸を持参していたのではないだろうか。こじつければ、本坪鈴は、これを鳴らすことにより神の気を引く役目を果たすともいう。修験者が5鈴の錫杖を鳴らしながら歩くように、これを鳴らしながら出雲まで、神と同行の旅を送ったのではないかと想像してみた。
     しかしながら、一年ごとに奉納していたのでは、もっと多くの銅鐸が集まっていてもおかしくはないかもしれない。古代のことであるから毎年神官を出雲に派遣していたとは考えにくい。また、この行事が現在残っていない以上、奉納しなくてはならないという決まりではなく、あくまでも慣習・流行の類ではなかったか。


    以下は仮説を物語としたもの
     宗教として神社が広まると同時に、銅鐸も広範囲になっていった。神無月に出雲に集まる習慣が残ったが、このとき銅鐸も奉納する流行ができた。
     当初は使用済みの銅鐸であったが、物をプレゼントする時、新しい物の方が喜ばれる。したがって、新しく鋳造した新デザインの銅鐸を奉納することもあった。
     派遣された神官としても、ちゃんと出雲に出張したという証拠が残るわけである。
     奉納された銅鐸は、どこかに保存されなくてはならない。加茂岩倉は出雲大社の社領地であったか、聖地の方角であったかのいずれか、あるいはその両方であったろう。適切な方角かつ、埋めても罰が当たらない場所であったのではないだろうか。
     もうひとつ考えられるのは、銅剣が大量に出土した荒神谷遺跡が比較的近い。この銅剣は、同鋳型から作られており、出雲産であることは間違いないだろう。つまり、銅を扱う氏族が、この周囲に住んでいたのではないだろうか。
     なぜ銅剣を大量に制作していたか。これは仮説でしかないが、軍隊行進のように威嚇のために剣を大量に扱う場合以外は、贈り物として制作されたものではないだろうかということである。たとえば、銅鐸を奉納したあと、銅剣を返礼として持ち帰ったのではないかということだ。
     そうなると、銅剣が銅鐸の地に残されていないかどうかということだが、銅剣の方は一般的な形状であり、その後の仏教伝来による銅の消費量が増大し、単なる贈り物である銅剣は、真っ先に供出される運命になったのではないだろうか。


    銅鐸衰退の理由
     神社に提げられている「本坪鈴」を鳴らすことは案外難しい。これが風鈴と同形式の銅鐸であればなおさら難しいのではないかと思う。
     第二点として、銅鐸は鋳造としては極度に薄く作られており、故障も多かったのではないだろうか。したがって、より安価で故障の少ない、上下合わせ式の鈴が使われるようになれば、生産されることもなくなったのではないだろうか。さらに、銅鐸の生産を維持する技術の維持も困難になったのではないだろうかと思われる。


    結論

    1. 銅鐸は、現在にみる「本坪鈴(ほんつぼすず)」の様に、村人が直接触れられる祭祀道具であった。
    2. これらは特定の地域・宗派によらず、各地で作られていた一般的な製品であった。
    3. 各地で作られた銅鐸は、出雲参りの際に奉納する習慣があった(ことがある)。
    4. 銅製品や鉄製品の製法・製造技法変化とともに銅鐸の製造は衰退した。


    今後の課題

    1. 文献上、神無月に出雲大社に集合した神社のリストアップと銅鐸発掘状況の付合調査。
    2. 銅鐸出土地周辺の出雲関連神社の選定。同・出雲関連神社からの銅剣の発掘。
    3. 銅鐸ではなく、鈴が一般的になった時期の選定。これに関連して鋳物鈴からプレスへの技術変遷の時期。検索してみたが鈴の登場時期が不明である。土鈴は縄文まで遡り、鋳物の鈴もみつかっているが、大型化しやすいプレス式の鈴が一般化した時期がはっきりしない。
    4. 各地から集められた銅鐸は、それぞれの地で利用可能な銅を使用していただろうが、出雲に銅鐸が集積したと考えれば、それを再利用して出雲産の銅鐸や銅剣は各地の銅の混合物ではなかったか。

    Copyright お茶ノ水博士817号 2012/12/30



    テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

    グレート・ジャーニー展 ~雨の日の過し方~ 2013年04月24日 東京 トラックバック:0コメント:0

    グレート・ジャーニー展 ~雨の日の過し方~

     ここのところ雨にたたられています。そんなときの時間の過し方は、博物館・美術館めぐりが一番有意義な方法でしょう。

     今日は午後から雨の予報。そこで上野の科学博物館に『グレート・ジャーニー展」を見学に来ています。

    R0011617.JPG

    グレートジャーニーとは?
     我々、人類(ホモ・サピエンス)は25万年前にアフリカの東岸に近い地溝帯にて誕生したと言われる。

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    「世界最古の人類の足跡復元」

     そして、6~7万年前にアフリカを離れ、アフガニスタンに近いユーラシア大陸に上陸。
     ここから、海岸沿い・内陸部を通って極東アジアへ。ベーリング海峡を通って北アメリカ・南アメリカへ広がっていったという。この広大な人類拡散の旅をグレートジャーニーと呼びます。

     この展覧会は、冒険家・関野吉晴が巡ったこの旅を世界各地の生活風習を展示しながら紹介しています。

    熱帯雨林 自然と共に暮らす民
    高地 インカの伝統を残す

    R0011627.JPG

    乾燥地帯 砂漠で生き抜く智慧

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    モンゴル

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    日本人のルーツ「縄文号」

    R0011670.JPG

     なかなか、興味深い展覧会でした。世界各地の生活がよくわかります。それにしてもモンゴルの少女といい、アンデスの少女といい。日本人によく似ていますね。してみると、我々黄色人種がスタンダードなんだろうか。

     欲を言えば、環境保護とか人類への警告とか、どうしてそういう話にまとめちゃうんだろう。
     もうひとつ、人類の移動の表示の中で、日本列島への移動が朝鮮半島経由になっている図がありましたが間違ってますよ。遺伝学的には南中国からが多数を占めるはずです。

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    初詣 山の手七福神 2014年01月10日 東京 トラックバック:1コメント:0

    今年も目黒不動に初詣に行きました。
    毎年、同じ事をしていたら感動がなくなってしまって、少々欲求不満です。
    自転車を駐車した脇をふと見ると「山手七福神」の案内が、

    七福神ですが、安置されているお寺は6つしかありません。妙円寺に2つあるらしい。
    まだ、時間はあるし、これを辿ってみることにしましょう。

    まずは、出発点の目黒不動の下にあるヱビス様。

    滝泉寺 目黒区下目黒3-20-26

    1.恵比寿
    右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えている、狩衣姿の恵比寿天は、日本古来の神様で、もともとは航海と漁業の守り神です。商売繁盛の神様です。

    途中で、七福神とは関わりないですが目黒五百羅漢寺を見学しました。お正月に五百羅漢寺は無料見学で公開されています。

    現在500はないものの380余体は安置されているそうで、自分の顔に似たものを見つけるとどうとか・・・その気になって探してみましたがありませんでした。

    お次は、弁財天のある蟠竜寺 ここは不動から環状6号で目黒通り方面に向かうと道沿いにあります。こんなところにお寺があるのを初めて知りました。
    蟠竜寺 目黒区下目黒3-4-4

    目黒行人坂付近にあった称明院を、増上寺の 霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年「霊雲山称名院蟠龍寺」と改名再建された。歴史があるんですね。
    2.弁財天
    ヒンズー教の代表的女神サラスバーティを由来としている弁財天は、水の神様。また、音楽・弁舌の能力も与えてくれる神様であり、知恵と財宝の神様です。

    環状6号を都心側に渡り、目黒雅叙園を目指して進みます。
    目黒雅叙園

    この脇の強烈な坂:行人坂を登ると

    途中に大円寺はあります。
    大円寺 目黒区下目黒1-8-5

    ここは、江戸の大火の火元として有名です。
    3.大黒天
    米俵に乗っている大黒天は、インドの神様と大国主命の習合。大きな袋と打ち出の小槌で、多くの人々を救済する、出世財福の神様です。

    行人坂の残りを、自転車を押して登ると目黒駅。ここから目黒通りを白金方向に進みます。

    首都高目黒線も過ぎ、こんな所に、お寺なんぞあったかなあ。

    と探しながら走ると

    場所は白金自然教育園の向かい辺りです。
    妙円寺 港区白金台3-17-5

    妙円寺は、瀧本院日忍が開山となり創建す。瀧本采女が足利幕府に仕えていた時に足利義輝より拝領したという妙見大菩薩が祀られています。
    そして、ここには2つのご福神様があることになります。
    4.福禄寿
    短身長頭で白い髯がある福禄寿は、中国の神様で、南極老人星の化身です。福は幸福、禄は高禄、寿は長寿をあらわし、三徳を兼ねた神様です。
    5.寿老神
    杖をつき長い頭の寿老人は、中国の神様で、七福神の第一におかれる長寿延命の神様です。

    さらに、目黒通りを進みます。白金台の駅を過ぎて、

    反対側には東京大学医科学研究所があります。

    この歩道橋のすぐ脇の小道を入るとありました。

    瑞聖寺 港区白金台3-2-20

    瑞聖寺は1670年に創建された。開山は日本黄檗宗2代の木庵性瑫である。木庵は1655年に明から来日し、1665年に江戸入りした。江戸時代には江戸の黄檗宗の中心寺院として「一山之役寺」と呼ばれていた。

    いや、立派なお寺ですねえ。なんでも東京では随一の中国・黄檗宗のお寺なんだとか。
    そういえば、目黒通りを歩いてきたときに、中国語を話す身なりのすごく良い方が向かわれていたのが、このお寺でした。
    6.布袋尊
    袋をたずさえて笑っている布袋尊は、中国の禅僧で実在の人物。弥勒の化身の宝袋尊は、すべてを包容する和合成功の神様です。

    白金の坂を下ります。都ホテルを過ぎ、下ったところは国道1号との交差点になります。周囲は再開発されてしまっていますが、数件の古い建物があります。

    高層建築とのコントラストがいい。
    ここに覚林寺がありました。地名でいう清正公前ですね。

    覚林寺 港区白金台1-1-47

    覚林寺は、開祖、可観院日延は、朝鮮の王族出身で豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正に捕えられ、後小湊誕生寺十八世となり、ここを創建したといいます。当寺では加藤清正を祀った清正公堂が著名。
    7.毘沙門天
    インドの神様で別称多聞天といいます。右手には財福を生む宝棒(鉾)、左手には除災招福の宝塔を持っています。

    寒いし、帰りにどこかで何か食べて帰ろうかと思っていたのですが、元旦初日はやっているところがありません。山の手通りにラーメン屋さんを見つけて暖まりました。


    山の手七福神
    参考には下記をどうぞ
    http://www.meguroku-net.com/sanpo/sichifukujin/shichifukujin-Top.htm

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    多摩湖自転車道 2016年03月24日 東京 トラックバック:0コメント:4

    所用で東村山の市役所に行くことになりました。
    母方の実家が久米川にあったためです。

    折角の休みなのに市役所だけではあまりにつまらない。

    昔、母に連れられて久米川から萩山まで歩いた道はどうなっているのだろう?
    土手みたいな雑木林の道でした。

    考えてみれば、私が土手好きなのはあの想い出のせいらしい。
    しかし、あの辺に川が流れているわけでもないし、なんで土手があったんだろう?
    調べてみてようやく解りました。

    西武多摩湖線沿いの水道道路
    今や多摩湖サイクリングロードになっているらしい。

    「ちょうど良い。所用が終わったら、多摩湖まで行ってみよう」

    副都心線経由で所沢。

    急行が来たので乗ったら、あっという間に所沢に到着。
    ここで乗り換え、一駅戻るだけで東村山駅に到着です。

    昔は大変だったんだよ。
    西武新宿から乗ると、子供だから飽きちゃってさ。

    駅前で自転車を組み立て市役所へ出発。

    所用は終わり、

    さあ探検だ。

    まずは久米川に向かいます。

    自転車だと近いね。

    駅前でもう、わからなくなってます。
    昔は東村山寄りに踏み切りがあって、その横に改札口だった気がするけどなあ。

    そして、東京寄りの道を一本か二本、萩山方面に歩けば爺さん家だったはずだけど。


    まあ、いいや。
    ノスタルジーもとめて来た訳じゃないから。

    多摩湖サイクリングロードに出ました。

    記憶と違ってあまり土手風ではないな。

    ところどころ、武蔵野の雑木林は残っていて、

    それを見るとなんとなく記憶にあるような気もする。

    まあ、いいや。
    多摩湖に向かおう。

    西武多摩湖線沿いではありますが、列車の本数が少ないから騒音もなく、ひたすらペダルを漕ぎます。

    「道が良いから、こここそグランテックで来るべきだったな」

    あっという間に武蔵大和駅の下に到着です。

    ここから多摩湖周遊に入ります。

    登り坂、そして登り下りを繰り返す多摩湖周遊

    車道とは別に専用のサイクリングロードが誂えてあり、良くできてます。

    多摩湖にしろ狭山湖にしろ西武球場にしろ山の中だと思っていたのですが、

    周囲は住宅地。

    それも結構、高級っぽい住宅地です。

    今となっては、よくこんな住宅地の隣に貯水地があるな。

    サイクリングロードから湖は、あまり見えません。
    DSCN1480_20160324131357517.jpg
    住宅地の次はお休み処が沢山です。

    2時間で2,980円ですか。忙しいですな。

    そして、多摩湖も尻尾の方に行けば、さすがに自然が残っていました。

    西武球場辺りで狭山湖への道を別けます。

    本当は狭山湖も一周しようと思っていたのですが、結構おなかいぱいになってます。

    狭山湖は、高校時代にマラソン大会させられたところ。たしか、19Kmぐらい走ったと思う。

    このまま、多摩湖を完全一周とし終了としよう。

    西武園遊園地が見えたところが、ダムの堰堤

    こうして見ると、多摩湖って大きいですな。

    よく、こんな水溜まりを造ったものだ。

    明治に計画され、大正時代に作られ、昭和・平成と改築されてきたとのこと。

    堰堤を渡り右岸に復帰。

    これで一周完了です。

    仕事が終わったら駅前でビールと食事をして帰宅するのが定石だったのですが、

    武蔵大和駅って何にもない。
    駅前のローソンでビールとサンドイッチを買って打ち上げとしました。

    この駅ってさ、線路一本だけで列車の上り下りを兼ねてるのね。

    桜もちらほらの村山貯水池でした。
    20160323.jpg  

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    バーミヤンの天井画を見に 2016年06月06日 東京 トラックバック:0コメント:0

    メトロ銀座のコンコースに「アフガニスタンの流出文化財の展示」があった。
    東京藝術大学で開催されている「バーミヤン大仏天井画~流出文化財とともに~」の広告であるらしい。
    文化財そのものより、こういう発掘とか修復とか、そういう技術に興味があったりする。
    ちょうど朝から雨だったので、上野にある東京藝大に出かけてみた。

    上野に降りると、すごい人出。

    そして公園内では、あっちこっちで募金活動が行われていた。

    主催者に教えてあげたいのだが、こういうイベント広場で募金活動するのは、実はあまり集金できないのだよ。
    新宿とか渋谷とか大規模な繁華街でも同じ。
    みんな急いでいるし、レジャー活動前だから、財布の紐はゆるくない。
    お年寄りが買い物に集まるような中程度の駅前が一番集金できる

    さて、お腹が空いているのでブランチが先だ。
    ただ、公園口周辺のレストランはあまり美味しいところがない。
    公園の中心にスターバックスとかができたのだが、やたら混んでいた。

    こういうときは東京文化会館や西洋美術館のレストランにだけ入って食べてくれば、そこそこ美味しい物が食べられるのだが、そちらも混んでいそう。
    芸大の近くに行けばなんかあるだろうと歩いて来たが

    こっち側にはあんまりない。芸大の角に「上嶋珈琲」があったので、

    そこで食べた。

    さて、芸大正面へ歩く。

    ふむ、ここだな。

    会場は、あまり大きいものではなくて、こじんまりしている。

    この展覧会の要点は2つあって、
    1.日本におけるアフガニスタン流出文化財の保護と修復
    2.タリバンにより破壊されたバーミヤン大仏天井画の再現


    一階は修復された流出文化財の展示が主だった。

    へえ、仏様も中東が近くなると、そういう顔になるんだな。

    発掘された「ゼウスの足」から、

    再現した「ゼウス像」

    これは芸大らしいな。しかし・・・
    「おい、ちょっとメタボじゃないかいw」

    そして2階は、再現された天井画の展示だった。

    2階に上がるとトンネルがあって、

    その中は、仏画が書かれていた「バーミヤン大仏の頭の上」という設定になっている。

    大仏が見ている方向は、アフガニスタンの風景で、プロジェクターで風景を流している。

    ※写真は、ハメコミ合成ですw いや、プロジェクタ画像まで綺麗に撮影できなかったので・・・別々の写真を合成しました。

    過去の調査隊の記録写真をデジタル化、さらに3D化して、和紙にプリント。
    これに現物に使われていた顔料を用いて彩色、貼り付け。
    という工程らしい。

    身内が文化庁に勤めていたので話は聞いていたのだが、日本の文化財修復技術は最先端だそうだ。
    とくに木材と紙に関してはトップレベルであるらしい。
    たとえば、虫食い和紙の穴に、それとおなじ成分で、和紙を漉いてしまうこともできるのだとか。

    これを現地の磨崖仏に書く日がくればいいね。

    ちょっと思ったのは、日本の文化財修復は現状の維持が基本である。
    中国のように蛇が龍になったりはしない。
    だから完全な剥奪部分はそのままになっている。
    しかし、バーミヤンの天井に書くときには、再現したいだろうなあ。
    まあ、それは修復家のしごとではなくて、芸術家の仕事になるんだろうけど。

    この展覧会、実は東京国立博物館で開催されている「黄金のアフガニスタン」という特別展にあわせて開催されているようだ。
    その特別展の終了と同時に、日本で保護されていた流出文化財を返還するのだという。

    その特別展も行こうかと思ったが、やたら混んでいそう。

    少し歩いたら、今度はブータン展というのがあった。

    こちらは、1400円と(正直内容の割に高い気がするのだが)日本の友好国ブータン王室の王子誕生を祝って入ってみた。
    ブータン人の顔つきは日本人そっくりだなあ。

    もうひとつ、気に入ったのはこの仏様。

    緑多羅菩薩(Green Tara)17世紀

    ※写真は「ブータン展公式Tw」より拝借しました

    日本の仏像は性別の区別がつかないようにできているが、
    こちらは、おっぱいが大きいなぁ。

    ということで、アジア歴訪の一日でした。

    年末年始の休日 2017年01月04日 東京 トラックバック:0コメント:0

    年末の終業日、電子書店からメールが届いた。
    「クーポンの締切が近づいております」
    しかし買いたい本がない。お薦めを見ると・・・

    君の名は。

    少し前から話題のアニメのノベライズか。
    どうせ、アニメを観に行くとは思えんから、小説の方でも読んでみるか。

    一時間後・・・

    明日は休みだから久しぶりにアニメでも観に行くか

    話の筋の方は小説を読んでしまっているので見えているのだが、この監督さんの絵柄は美しいのだそうだ。
    しかし、おじさん独りで観に行くのも恥ずかしいから、マスクをしていく。
    映画館という閉鎖空間で風邪を移されるより良いだろうと、理屈もつけてみた。

    DSC_5124 コピー.jpg

    公開されてから4ヶ月も経つためか、忙しい年末のためか、朝一番の回だったためか入りは3割ぐらい、マスクしてこなくても良かった。

    そして2時間後・・・見終わった感想

    ネタバレを書こうとは思わないし、この歳になってアニメという空想作品に文句をつけようとは思わない。
    ただ、実写でも可能なアニメだから余計にひとこと書きたくなった。

    まず、糸守町のモデルって何処なんだろうなあ。
    数年前、横瀬に行ったとき大先輩から「あの花・・・」の聖地はここなんだよと、アニメにもモデルとなる場所があるということを教えてもらった。

    丸い湖の畔にある町で、人口は1500人ぐらいらしい。
    飛騨地方のどこかということになっているけれど、私は信濃大町に近い「木崎湖」だと思った。

    木崎湖
    木崎湖wikipedia
    (写真はWikipediaより借用)

    検索してみると。作者の当初の想定は松原湖で、色々な人のイメージが重なって、どこでもない湖ということになっているらしい。
    さらに参考にした場所の一箇所が「諏訪湖」になっていて、ネット上では諏訪湖ということに確定しているらしい。

    でも違うだろう・・・

    松原湖じゃ寂しすぎるし、諏訪湖じゃ大きすぎる。
    木崎湖は別のアニメで使われたから、そこではないということになっているらしい。

    そして、宮水神社の奥の院というか御神体のある山。
    麓から小一時間で森林限界に達し、頂上はグラウンドぐらいのカルデラになっており、外輪山から糸守の町と湖がよくみえる山。

    さすがに、そんなちょうどよい山はないなあ。
    もし、あったら私は毎週のように出かけているだろうし、高尾山なみに有名になっているだろう。
    あえて云えば蓼科山が近いか・・・いや、伊豆の大室山か・・・

    興行成績が良かったのでジブリと比較されているようだけれど作風が違う。

    ジブリの方は、綿密に下準備がしてある感じがする。
    たとえばとなりのトトロに出てくる郊外の家。
    あの家、我が実家に似ていたので、図面を引いてみたことがあった。
    縁側に隣接する屋根裏に至る階段だったか、玄関に隣接するトイレだったか、一箇所だけ整合性がとれないところがあったけれど、ほとんど問題なく間取りを確定することが出来た。
    愛知万博でサツキとメイの家を見学して、ほぼ一致していることを確認した。
    元郷の村もそうだし、千と千尋の町もガイドマップが描けそうに感じる。

    一方、こちらの監督さんは、そういうディテールではなく、ストーリーや整合性を抜きにして、絵画的なアニメを描く人だろうと。
    ただ、この監督さんの作画、もっと遠近感を使う人かと思っていた。絵は美しかった。

    DSCN4361 コピー.JPG

    鑑賞し終わって帰ってくると、狙い澄ましたかのように娘からメールが来た。
    「パパ、生きてる?」
    「おう、君の名は。を見てきたところだ。恥ずかしいのでマスクして行ったぞ」
    「あはは、で、ちゃんと泣けた?

    マスクをしていった意味は違うんだが、大人でも見ることの出来るアニメだ。

    「いや、面白かったよ」

    劇場公開はもうそろそろ仕舞いだろうから、見に行っていない方は行く事をオススメする。

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    都道420号線の今 その1 2017年01月05日 東京 トラックバック:0コメント:0

    いろいろ物議をかもした前都知事のI氏ですが、道路の建設だけは進んだ気がします。
    首都高環状線やマッカーサー道路だけでなく、

    都道420号線

    420号線とは、環状6号山ノ手通りと環状7号の間を走る補助環状線です。
    2017-01-01.jpg
    どの辺りかというと、中野駅と中野サンプラザの間を抜ける「中野通り」その延長線にあたる。
     
    駒場の近辺や学芸大学駅近くの五本木なんて住宅密集地帯だから、絶対に無理だろうと思っていました。
    ところが歩いてみると、用地買収済みの区画が目につく。
    そこで、どこまで完成しているのか、道をたどってみました。

    南の起点は、鮫洲近くの「八潮橋」から始まる。

    この橋、陸地側から登ると4階建てのスロープで結構な高さまで上がる。

    上からの眺望はなかなかよろしい。

    さて、八潮橋を降りたところは国道357号線「海岸通り」というところ。
    01.jpg
    もう、京浜急行が走る国道15号はすぐそこです。

    国道15号を渡ると、いきなりトンネルとなります。

    ここは仙台坂といい、仙台藩の下屋敷があったところだといいます。

    車は下のトンネルを抜けていきますが、歩行者・自転車はこの坂を登ります。

    坂を登りつめると、大井町の商店街の果てにあたり、ここから駅までずっと昔ながらの商店街が続きます。

    大井町駅

    線路下のガード下商店街は改装中のよう。
    東急電鉄のガード下は、あちこちで補強工事中。それとも、古い商店主を追い出す作戦だろうか

    なおも直進すると、品川区役所の通りを横切ります。

    この先、工事中のゲートが見えてきた。

    ここが工事中の第一関門で、この先、横須賀線・東海道新幹線、東急大井町線、都立大崎高校を突破しなくてはならない。

    ここからトンネルを掘り、あちら側の大原通りまで一気に通過する設計になっている。

    「ママ、タコの怪物だよ」

    という微妙な児童遊具の公園も作られ、トンネルはその横を抜けていく
    この先は、横須賀線・新幹線の踏切がある。

    フェンスの中は、トンネルの工事中

    トンネル自体は、もう大分できている。

    こちらは、大井町線の高架下で、

    この下もトンネルで抜ける。
    道は、都立大崎高校と戸越公園の間を抜ける。

    トンネルは、あまり広くはないけれど、

    歩道、自転車道は別にできている。

    歩道の方は結構長かった。

    そして、出たところは「大原通り」

    此処から先は、道は良くなるが

    さらに拡幅工事が続行しているようである。

    武蔵小山が近くなってきた。

    武蔵小山って、目黒区内では一番の繁華街なのではあるまいか?

    えっ、自由が丘だろうって?

    いやいや、あそこはオジサン立入禁止の地区ですよ。

    この武蔵小山周辺、目蒲線いや目黒線が地下化されるに伴い、一気に再開発された気がする。
    OPS11381.jpg
    だが、アーケードが健在で、商店街がしぶとく生き残っている。

    目黒通りに面する目黒郵便局が見えてきた。
    OPS11378.jpg
    標識では、左上方向が暫定的に都道420号線だが
    DSCN4369.jpg
    計画では、迷うことなく、五本木まで直進する。なかなか潔い計画だな。
    DSCN4373.jpg
    さて、目黒通りを渡って、中盤戦に突入する。
    DSCN4370.jpg




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    都道420号線の今 その2 2017年01月08日 東京 トラックバック:0コメント:0

    目黒通りに差し当たった。

    目の前のグリーンフェンスが420号予定地である。
    ちなみに茶色のっぽビルを挟んで左側の道は「品川用水」の名残である。

    ここが、未成区間の二番目で、住宅密集地に当たる。
    04.jpg
    フェンスの先は、かなり先まで空き地が続いている。

    知らぬうちに用地買収が進んでいたんだな。

    まだまだ、残る家はあるけれどって、このおうちなんか新築じゃない?

    その先は、また用地取得済みの空き地で、

    東横線方面に延びている。

    この区画は、目黒中央中学校に隣接する。

    隣接というより校庭が半分食べられてしまったよう。
    こういうところは、トンネルにして校庭広げてあげればよいのに。

    そして、学芸大学駅近くの東横線高架が見えてきた。

    あのフェンスの向こうは、すでに駒沢通り。

    もうほとんど用地買収は終了して、一車線ぐらいだったら道がつくれそうだった。

    この下馬から先は、そこそこ道が完成している。

    北沢辺りでタクシーを拾うと、運ちゃんがよく使う道だ。

    世田谷公園の脇を抜けて

    この辺は、おしゃれな店がちらほらできている地区だ。

    池尻小学校を越えると、

    国道246玉川通りが見えてくる。

    なおも直進すると、

    三宿通りというのがこれなのか

    三宿の烏山川を越えたあたりで、唐突に途切れる。

    これは、これはっ
    081.jpg
    この先、延長するのは難しいだろう。

     
    道が通りそうな地点を探して歩くと北沢川緑道に出た。

    でも、まだまだ諦めてはいないようだ。

    なんとしても、真っ直ぐな道を作りたい模様。
    05.jpg
    虫食いのように用地買収済みの区画が見える。

    そうして出たのは「淡島通り」

    この辺りは、まったく手付かずのようで、この辺になるだろうという路地を進む。

    少し行くと、公務員住宅が密集する地域に出る。

    ここいらを通したいんだろうね。

    京王井の頭線を越えて北側は

    東京大学駒場キャンパスの領地

    420号は、この横か下を通る予定なんだろう。
    06.jpg
    東大キャンパスの脇の路地をごにょごよと進むと松蔭学園の校舎で、

    その校門前から420号は復活する。

    拡幅予定か、道の左右は空き地が目立つ。


    井の頭通り
    DSCN4466.jpg
    井の頭通りを越えてしばらく行くと、

    とうとう国道20号甲州街道に遭遇する。
    DSCN4470.jpg
    ここは京王バスの車庫。
    DSCN4478.jpg
    こちらは、神田川だと思う。
    DSCN4483.jpg
    十貫坂上あたりの商店街を通過し
    DSCN4486.jpg
    そして、見えてきたのが「中野駅」
    DSCN4494.jpg
    ガードをくぐって、
    DSCN4495.jpg
    北口の中野サンプラザの右側を走る道が420号だ。
    07.jpg
    終点は、まだまだ遠い。

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    都道420号線の今 その3 2017年01月11日 東京 トラックバック:0コメント:2

    中野駅を越えて、都道420「中野通り」を北上する。

    方向は、右上方向の「哲学堂」方向だ。
    途中、新年の参拝でにぎわう「北野神社」新井薬師があった。

    この辺は走りやすい。

    西武新宿線の新井薬師前の踏切を越えてしばらく行くと

    哲学堂

    哲学堂とは
    哲学堂公園の地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址。
    明治37年に東洋大学の創設者である哲学者の井上円了が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を建設したのが、この公園のはじまりである。内部には、哲学者の像が祀られている。庭園には哲学に由来するユニークな名前の坂や橋などが点在し、井上円了の思想と世界観を垣間見ることができる。昭和50年に中野区立公園

    ふーん

    哲学堂公園の末端で、

    420号は新青梅街道にあたり、そこで行き止まりとなる。
    091.jpg
    目白方向へちょっと走って、

    次の角を左折し北上を続ける。

    なんか普通の街路になってしまった。

    目白通り

    しかし、拡幅は予定されているようで、こちらにも建設予定の看板は立つ。

    西武線の踏切に至る。

    私はなんとなく、この黄色い無骨な電車が好きだ。

    ここから再び都道という雰囲気になって

    下馬と同じぐらいに整備済みの区間を行く

    見えてきたのは大谷口給水所

    大谷口とかいうから仏塔かと思ったよ

    そして、繁華街になってきた。

    道は、国道254川越街道にぶつかったところで行き止まり。
    この先は、大山のアーケード街だ。

    アーケードを抜けると東武東上線の踏切で、

    ここから420号は復活
    09.jpg
    東京都健康長寿医療センターがあった。

    その横には建築中のフェンスがあるが、こいつは病院改築中で、420号とは関係ないらしい。

    そして、見えてきた国道17号

    上は首都高速だ。
    10.jpg
    この首都高と17号に挟まれた空間に板橋宿の記念碑があり、ここで420号を辿る旅は終点となる。

    帰路は王子駅に出た。

    正月でもあり、あまり店はやっていなかったが、

    駅前の回転ずし
    回転寿司とはいっても回っているのはごくわずか。普通に頼んで普通に食べる寿司屋さんだった。
    うまかったよ。

    永遠に建設中の都道420号だが、都庁の役人さんとか建設省のお役人様には頭が下がるな。
    何世代かかったら完成するのか、それまで待つ姿勢はすごい。
    だけど、もうこれ以上、道路を増やさなくても良いのではという気もする。

    という感想をもって、この旅は終わる。

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    枡形山 2017年06月05日 東京 トラックバック:0コメント:0

    枡形山に行ってきた。

    どこだ、それ?

    場所は生田緑地公園の一番標高が高いところであるw
    半日、暇になったので散歩にでかけた。
    目的は先日直したトレッキングシューズの具合を確かめること。

    たった半日なので、あまり交通費を使いたくない。
    以前に調子こいて、日曜の午後に松田まで電車に乗ったら、着いた頃には陽が沈んでしまったことがあった。
    二子玉川からバスで行く。私は東急全線バス定期券というのを持っているので、東急バスであるなら乗り放題なんだ。
    ただし、東急バスの通勤定期って高くて、毎回220円払って乗ってもそう変わらない。

    枡形山に登るには、生田緑地の入口から入ればよいのだけれど、駅から何処が近いか地図で見てみる。

    一歩入った途端に、けっこうな森だなと感じた。

    鬱蒼としている。

    市民にとっては良い場所だな。
    元は北条方の城だったそうで、たしかに籠るにはよさそうな地形だ。

    途中、長者穴横穴墓群というのがあった。

    そうそう、こういう穴蔵って、お墓だと思うんだよね。

    穴居人跡とかって、宣伝されている場所もあるけれど、
    蛇だの蝙蝠だの虫だの湿気だので、日本の地形では洞窟には住みにくい。

    これを登ると飯室山の展望台があった。

    スカイツリーがよく見える。

    さらに、小道をたどれば

    枡形山

    山頂は小広い広場になっていて城風味の展望台。

    とってつけたような出来栄えだが、エレベータも付いていた。

    天守閣からは眺望が良い。

    広場で一休み。

    近くの大学の女学生だろうか、キャッチボールをしていた。
    なかなか良い球を投げていたが、
    「女遊びをするような彼氏ってだめだわ」
    「あたし、そんな心広くないもん」

    ごもっともで・・・

    ソールを張り替えたトレッキングシューズは、さほど問題はない。

    ま、当たり前といえば当たり前なのだが、重量増加に伴ってインソールを交換してある。
    多少、新品のように当たる部分はあるけれど、そのうち慣れるだろう。

    さて、

    向ヶ丘遊園や民家園には子供の頃から何回も来ているが、

    芝生広場を避ければ鬱蒼とした緑なんだと初めて知った。

    さらに降りると、ホタル園

    6月中旬から下旬にかけてホタルの観察ができるのだそうな。

    今度、夜に来てみよう。

    散歩には良い所だと思った。
    通勤定期で行くハイキングでした。

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    若洲キャンプ場で、100均キャンプ 2018年06月14日 東京 トラックバック:0コメント:0

    焚き火が見たくなった。
    そういえば、久しくキャンプに行っていない。登山でテントは使うけれど、あれ寝る為だもんな。

    ただ、焚き火を見るだけではつまらないので、以前からやってみたかった100均でキャンプというのを実行してみることにした。

    ルールは、装備をすべて100均で揃え、一泊して帰ってくること。
    youtubeやニコニコを見ると、若者たちが既に実行してはいるんだが、100均でキャンプというよりは若さに依存して野宿に近いことになっている。

    当初、お金だけ握りしめて装備は午前中に揃え、その足でキャンプ場で工作するという目論見だったのだけれど、
    関東最大の100均ショップに行っても、売り切れという商品が少なくないので、事前に用意を済ませ本格的なキャンプを目指してみた。

    問題は連続して休みがとれないこと。だから翌日キャンプ場から出勤するという組み立てとなった。

    翌日出勤するわけだから、都心部から一番近いキャンプ場ということで「若洲キャンプ場」に当たってみた。

    予約状況をみると土日祝日は完全にダメ。ただし平日なら空いている。

    そこで休みの水曜日に一泊して、木曜の朝ここから出勤する。

    ほぼ100均で装備は揃えたのだけれど、適当なザックがみつからなかった。
    というか売っているはずもないよな。

    そこで、中身の3倍は高いグラナイトギアに詰め込んだ。

    100均だから、小型化も軽量化も考えられているはずもなく、ザックの横にも括りつけることになったし、やたら重かった。

    新木場から都バス(木11)に乗って、若洲キャンプ場に向かう。
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    このバス、キャンプ場行きとはなっているけれど、周囲の通勤者向けのようで、あちこち寄り道する。
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    受付で、「予約した○○と申しますが」

    「ああ、○○さんね。ええと静かなサイトがご希望っと・・・困ったな、水曜日は最近、混んでるんですよ」

    げっ。そんなにか・・・

    「じゃあ、こちらでおねがいします」と指定されたサイトはキャンプ場の一番奥。

    管理棟の横にはショップもあり、食べ物からビールまで売っている。

    惜しいのは営業が17:00までで、これからという時間に閉店してしまう。

    サイトについた。
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    あれ、混んでないじゃん。

    どちら向きで設営しようか悩む。

    タープを張り

    シェルターを張り

    蚊帳も吊り下げて

    完成
    20180613_012.jpg
    昼食にとりかかる。

    ちょっとした湯沸かしには固形燃料。

    夕方からは炭火で料理という予定だった。

    ドライカレーを温め、ビールをちびりちびり。

    昼飯も済んだので、散歩に出かける。

    海岸には海釣りの方々がいっぱい。

    そしてネコも沢山いる。

    みんな、栄養十分だな

    サイトに帰宅すると、友人がやってきた。ではここから再スタート

    炭火を熾し、缶詰を温める。

    そうしていると、友人プラス2も到着したので、営業時間まで語り合う。

    ここの場所が良いのは、隣に東京臨海道路があり

    反対側はリサイクル工場でうるさい。

    しかも頭上には羽田に向かう旅客機が轟音をたてている。

    だから夜遅くまで話し込んでいても、まったく話し声がわからない。
    だいぶ飲んだので、友人と夜の海を見に行く。

    ゲートブリッジがきれい

    友人たちはナイスタイミングで企画してくれたと喜んでお帰りになった。

    友人が帰ったあと、急に喉が痛くなってきた。風邪だろうか?

    100均キャンプに合わせて、いつもは持ち歩く薬セットを持ってきていない。
    とにかく水をちびちび飲んで増悪防止に務める。

    自作シュラフに潜り込んで、早めに寝よう。

    ところがだ・・・
    となりの工場は遅くになれば静かになるだろうと思っていたのだが、ぜんぜん休まない。
    都道も静かにならない。

    飛行機は一時、休みがあるように感じたが再び飛び始めた。
    うつらうつらして、起こされるの繰り返し。昨晩ビールばかり飲んだのでトイレも近い。

    それでもしばし寝たので、始発の7:45発のバスに乗れるよう撤収を始める。
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    始発のバスに乗って、新木場から日比谷に出て、ランナーズステーションでシャワーを浴びて出勤しようと企んでいたのだが風邪っぽいのでやめる。

    100均とかにこだわらなければ、あっさりとキャンプはできそうだ。
    次回は「会社を早退してキャンプ、ミニマム装備編」でもやってみようか?

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    2018年度 銀座震災訓練 2018年08月31日 東京 トラックバック:0コメント:0

    例年通り8月の最後の金曜日、銀座にて震災訓練が行われた。

    数寄屋橋公園で早朝から準備する人たち。

    4車線のうち2車線をつぶして訓練を行う。

    今年はレンジャーも来ていないし自衛隊もいない。

    今年の目玉は、はしご車らしい。

    GINZA SIXの6階から、助けてくれいという声がする。

    見上げると、バルコニーで助けを求めている。

    はしごを延ばして救助。

    ハーネスを着け、フックをかけてから、乗り移るのだそうだ。

    けっこう怖えだろうなあ。

    ちなみに3人までは乗れるのだそう。

    こちらは救護所

    関東大震災にあわせて、9月前後に行うのはわかるんですけど、やっぱり暑っちいなあ。
    3月11日に変更してもらうわけにはいきませんかね?

    とうとう書くことがなくなって、日記となった次第です。

    日本を変えた千の技術博 2019年02月14日 東京 トラックバック:0コメント:0

    上野の国立科学博物館で特別展、日本を変えた千の技術博を観てきました。
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    いくつかの分野に分かれて展示されているけれど、
    まずは、当時の教育の発展。

    私がもらった私学のやつと違って文部大臣がサインしてるんだな。

    当時の外来担当医一覧だと思われるけれど、

    相撲の番付けみたいに貼りだされちゃたまったもんじゃないな。

    メートル原器レプリカ

    メートル法が決まった頃で、日本は本当に良い頃に文明開化したものだと思う。

    横須賀製鉄所の煉瓦だということは日本最古の煉瓦の一部

    高峰譲吉が発見したタカジアスターゼと世界初の発見と言ってよいアドレナリン

    欧米でも同時に別個に発見され「エピネフリン」と名付けられた。
    だから残念ながら、エピネフリンの方が通りが良い。

    当時の出火原因

    ランプからの出火が多い。

    この辺は電化製品なんだけど、

    実は、我が家の屋根裏部屋に残っていたりする。

    今回の展示の目玉はコレだと思う。ゼロ戦の栄発動機。
    中島航空機・・・後のスバルである。

    思っていたよりスパゲッティ化していない・・・きれいなもんだ。
    14気筒で約1,000馬力。1気筒あたり71馬力だから、4気筒にしたとすると・・・284馬力
    うちのスバルと変わらんじゃないか・・・

    こちらは、人工アンモニアの合成に成功したハーパー法による高圧合成器

    「栄光なき天才たち」に出てきた。
    知らなかったのは、日本人技術者が協力していたんだそうだ。

    次いで、富士山レーダーに使われたマグネトロン

    そんなに大きなものじゃなかったんだな。

    昔から不思議に思っていた「写真伝送装置」

    明治末頃には実用化されていたというけれど、どうやっていたんだろう。
    仕組みは解説されていないので、結局わからなかった。

    そして、コンピュータ

    外に出ると必ず写真に撮るクジラ君

    まあ、面白かったんだけれど、テーマが広範囲すぎてひとつひとつは浅かった。
    音声ガイドも借りたのだけれど、話が長すぎて一話一話がなかなか終わらない。

    もう少し、テーマを絞ってくれたらよかったかと思う。

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    クリムト展を見に行った 2019年06月06日 東京 トラックバック:0コメント:3

    クリムトの絵は以前から知っていたのですが、意識するようになったには、なんとあの「エルフェンリート」のオープニングw
    あのグロ漫画を知ったのはこのアニメのOPで、その後一気に原作を読み切りました。
    クリムトの絵を見たいとは思っていたのですが、なかなか日本に来ません。そしてとうとう2019年、やってきたわけです。

    上野の東京都美術館

    おや、でかいボーリング玉があるぞ
    休日に来ると大混雑だろうと、平日にやってきたのですが、それでも並んでる。

    以下、知ったこと
    クリムトは1862年のお生まれだそう。僕とは100歳は違うんだな。
    父親は金職人だった
    だから金箔を多用したのね
    初期の頃の絵画は一般的だけれど美しい

    日本美術の影響を受けている
    パリ博で日本芸術の影響を受けた画家は数知れないが、この人もそうだった模様。
    父親が金職人だっただけではなく、金屏風とかの影響もあったのかもしれないね。

    他の画家たちと共に分離派を結成し新しい芸術を指向する。この頃より、後に有名になった作風が現れる。
    分離派美術館まで建ててしまったらしい。

    このシリーズは壁3面に書かれている。

    彼が描く女性は美しい
    Judith_1_s.jpg
    しかしだ、なんと4人以上の女性に子供を生ませているらしい。
    なんて奴だ・・・
    そう思って彼奴の顔を眺めると、

    嫌いだったった3回結婚してそれぞれに子供がいる“知り合い”に似ている。
    一気に嫌いになったw

    時々、これはアールヌーボーだねぇというのがある。

    アールヌーボーは19世紀末の発祥でパリ万国博覧会が1900年だから、日本の登場は実に丁度良かったことがわかる。

    気になったのは大学の天井に飾られたという医学・哲学・法学の三部作で、大学側と揉めてご破算になったというもの。
    なんというか科学というよりは神話、精神的な点を強調しすぎたんだろうな。
    これの医学が気になった。
    Fakultätsbild_Medizin_s
    この3部作は現存しておらず写真が残るのみ。医学だけ部分的なカラー写真があるそうで、それに基づいて復元されているそうな。
    哲学が現存していれば、なかなか見応えがあったろうと思う。

    有名な『メーダ・プリマヴェージ』や『接吻』は来てなかったな。

    さて、展示を見終わってショップに向かいます。
    とくべつ購入するクセはないのですが、クリムトのリトグラフがあったら買いたいと昔から思っていました。
    ところが高いじゃんか・・・
    リトグラフではなく単なるポスターで1500円かよ。
    展覧会のカタログは、家族がそのような仕事をしていたので沢山ありますが・・・
    「これ、困るんだよな・・・」
    でかいし、重いし、場所取るし・・・大抵、買った当日夜しか見ないし・・・
    こいつらこそKindle化して欲しい。

    最後は、個人的に恒例の美術館でのレストラン休息

    美術館のレストランはオッサレで味もまあまあ、値段は高くなく普通。
    たいてい公立の建物内だからね。
    美術館から出ると、実に気持ちのよい日

    御徒町まで歩いて、アートスポーツに寄って帰宅したのでした。

    クリムト展(東京)は2019-7-10まで東京都美術館で開催されています。
    なかなか来ないので、ヒマとお金と絵の趣味があえば、お薦めしますです。

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    さらば銀座 2019年12月14日 東京 トラックバック:0コメント:0

    銀座を離れる。回線を切断しちゃうので最後の書き込み。

    昔、浅田次郎の小説で、銀座のビルの上から眺めれば、書き割りのようで興味深いという言葉があったが、

    はじめて屋上に登って、

    下界を眺めてみれば、

    他の建物が高すぎて、どうということはなかった。

    まだ、明日も来るけど、さようなら銀座!

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    小石川植物園に薬草を見に行く 2021年02月11日 東京 トラックバック:0コメント:0

    カメラも使用可能になったことだし、マイ薬草ブームも続いているので、薬草を見に行きます。

    高画質のα-7Rで、薬草の写真を撮影すれば、もういうことはありません。

    小石川植物園は徳川幕府の時代に薬草園として発祥したもので、医学と切り離せない関係だったことになります。

    1638年 (寛永15年) 徳川幕府は、現在の南麻布と護国寺付近に薬園を開設
    1684年 (貞享 元年) 麻布南薬園を小石川御殿内の北側に移す
    1722年 (享保 7年) 小石川薬園内に養生所を開設
    1735年 (享保20年) 青木昆陽が小石川薬園内で甘藷を試作
    1868年 (明治 元年) 明治維新により東京府管轄、大病院附属御薬園と改称
    1869年 (明治 2年) 大学東校管轄、医学校薬園と改称
    1875年 (明治 8年) 文部省所轄教育博物館附属・小石川植物園と改称
    小石川植物園 年譜より抜粋

    白山で地下鉄を降りて歩きます。

    坂を登れば小石川植物園の東門で、

    入場できるのは正門しかありませんから、登った坂を反対へと下ります。

    入り口がありました。

    東京大学の付属施設の割には、子供連ればかりですね。
    どこかの公園へ来たみたい。

    小石川植物園は、高校が比較的近くだったにもかかわらず、今まで来たことはありませんでした。
    初体験なので、どういうルートで周ればよいのか悩みます。
    まあいいや、まずは温室に行って、ぐるっと回って、最後に薬草を堪能しよう。

    正門から坂を登れば、本館があって、

    すぐ先が温室です。

    メンデルのぶどう

    メンデルの地元では枯れてしまって、分枝していたここのぶどうを里帰りさせたのだそうです。

    こちらは、ニュートンのリンゴ

    このリンゴの木は、挿し木で世界中に植えられているのだそうです。

    そして温室へと着きました。

    温室って「GLASSHOUSE」っていうのか?

    そこいらのハワイアン・センターと違って地味ではありますが、面白い植物もありました。

    温室だけじゃなくて、冷室もあるようです。

    高緯度地方やら高地の植物かとおもったら、洞窟の植物なんていうのもありました。

    外周をぐるっと回って、西角には東京医学校がありました。

    ここが日本の西洋医学の聖地だったわけですね。
    建物がやたら小さくて、昔から狭き門だったわけだ。

    そうして、薬草園へと向かいます。

    薬草園という日本の医学の研究施設だったはずですから、温室のようなところで、厳密に栽培されているのかと想像していたのですが
    薬草園って、これ?

    さらに、冬なので、ほとんど地上部分は枯れてしまっています。

    せっかく来たけど、まあ当然だよな・・・

    多少の成果はあって咳止めとなるエフェドリンを含む「マオウ」

    強心配糖体を含む「ジギタリス」

    これ、薬理学教室でみたことがありますが、可憐な花を咲かせます。

    福寿草

    これ、可憐な花の割に猛毒だったはず。

    小説「植物図鑑」に登場する「ヘクソカズラ」綺麗だけどやたら臭い花

    薬草園の隣には、各種植物を集めて、閲覧できるようにした「分類標本園」

    ここも残念ながら冬枯れでした。
    多摩川へ野草を探しに行くときも3月中旬からとなりますので、ここへ来るのも、それ以降の季節が良いのでしょうね。

    桜の木は沢山ありましたから、花見も堪能できるでしょう。

    確かにスマホのカメラよりは良く写っているわい・・・

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