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    東海道品川宿 2011年05月10日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    とりあえず、品川用水をたどった私は、続いて旧東海道を目指して進む。

    大崎から馬場に向かう道は、煉瓦造りの塀やらお寺やら、歴史の香りがし始めた。

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    煉瓦造りの日本ペイントの建造物だということはわかったが、帰宅してから調べてみると

    日本ペイント明治記念館

    1909年

    日本最古の煉瓦造り油・ワニス焚き製造工場

    内部には当時の生産設備や塗料容器などが展示してあるらしい。

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    曹洞宗

    天龍禅寺の煉瓦塀

    お寺で煉瓦塀とはしゃれてますな。

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    内部は曹洞宗らしく、質素な本堂。

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    東海道近隣になったためか、お寺が多い。

    国道15号である第一京浜を越えると、浄土真宗心海寺

    めざす東海道は、もうすぐそこ。

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    到着

    第一京浜の1本か2本、東よりを探せば旧道に遭遇できるので簡単だった。

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    本題の東海道は、どのような道になっているかというと。

    どこにでもある商店街の路地のよう。

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    これは鮫洲公園近くだが、裏通りという感じですな。

    一方通行路で、車もほとんど通らないので走りやすい。

    ただし人は、そこそこいるので、それこそ商店街を走るようなもの。

    諏方神社

    道には寺社仏閣が沢山あります。

    ここは諏方神社

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    東海七福神

    というのがあるそうな。

    1.大黒天(有福):品川神社
    2.布袋尊(大度量):養願寺
    3.寿老人(寿命):一心寺
    4.恵比須(清廉):荏原神社
    5.毘沙門天(威光):品川寺 ← いまココ
    6.福禄寿(人望):天祖諏訪神社
    7.弁財天(愛敬):磐井神社

    しかし、お寺と神社を一緒くたにするのは、なんとも日本的な。

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    品川寺

    町中だというのに緑に囲まれ、落ち着いた雰囲気のお寺でした。

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    布袋様

    金生七福神

    その他に梵鐘やら、あります。

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    商店街化している旧東海道を抜けると、そこは鈴ヶ森刑場跡だった。

    そうですか。こんな所だったんですか。

    もっと海側の公園の方かと思っていました。

    時代劇などでは、広い空き地に竹垣を張り巡らせて、大勢の見物人が取り囲んで、刑の執行が行なわれるという印象が強いが、下の看板によれば、規模は74m×16.2mだそうだから案外小さい。

    いわゆる水泳プールを少し広くしたぐらいのものか。

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    都旧跡 鈴ヶ森遺跡

    所在 品川区南大井二丁目五番六号 大経寺内
    指定 昭和二十九年十一月三日

     寛政十一年(一七九九年)の大井村「村方明細書上」の写しによると、慶安四年(一六五一年)に開設された御仕置場で、東海道に面しており、規模は元禄八年(一六九五年)に実施された検地では、間口四〇間(七四メートル)、奥行九間(一六・二メートル)であったという。
     歌舞伎の舞台でおなじみのひげ題目を刻んだ石碑は、 元禄六年(一六九三年)池上本門寺日の記した題目供養碑で、処刑者の供養のために建てられたものである。大経寺境内には、火あぶりや、はりつけに使用したという岩石が残っている。
     ここで処刑された者のうち、丸橋忠八、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お駒などは演劇などによってよく知られている。
     江戸刑制史上、小塚原とともに重要な遺跡である。

     昭和四十四年十月一日 建設
      東京都教育委員会

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    火焔台

    八百屋お七・・・

    真ん中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである。

    うーん。生々しいですな。罪人とはいえ合掌。

     

    八百屋お七について調べてみたら、かなりの思い違いをしていたことに気がついた。

    八百屋お七は、

    1683年の駒込を火元とする天和の大火で坊主と知り合う(目黒の大円寺ではなかった)

    大円寺は1772年の明和の大火(行人坂火事)の火元。

    それでも、八百屋お七が懸想したという坊主は大円寺の合併前の明応院に奉職する。

    お七は、火事を起こしたわけではなく、火事は未遂に終わっているようだ。

    この先、第一京浜沿いを真っ直ぐなので、写真を撮影しなかった。

    寂しいので、Googleから写真を拝借

    第一京浜だけあって、歩道は幅広いし、自転車通行可でもあるけれど、段差が多すぎて車道を走る。

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    途中、一カ所だけ道を間違えた。正解は赤い線で、よくよく見ればこれが旧道なのは当然ですな。

    国道15号が直線だから調子こいて直進してしまいました。

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    もうすぐ多摩川土手という場所にある六郷神社。ここも広大な敷地で明るく、良い場所でした。

    六郷神社由縁

    社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられます。

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    ここが、本日の最遠到達地点:六郷土手。

    しょっちゅう来ている場所ですが、本日はちょっと感慨深いものがありました。

    だけど、どこに六郷の渡しがあったのでしょう?

    それらしい舟を繋いでおいてもよさそうなものだけれど。



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    東海道 川崎宿~神奈川宿 2011年06月07日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    東海道 川崎宿~神奈川宿

     東京の南端の『六郷の渡し』にたどり着いた私は、東海道を巡るにあたり今後は輪行が不可欠になってくる。
     あまり天気も良くない本日、長距離は走れないだろうけれど、輪行がもっとも簡単なアプローチを探すことにした。
     連れて行く相棒はブロンプトンにした。きょうは混雑する路線だし距離も走らない。
     さて電車に乗るコースは「最も気楽に東海道線に接続出来る路線」となる。乗り換え回数が最も少なくて、邪魔にならずに自転車を店開き出来る駅前のスペースがあって、エレベーターもある方が望ましい。
     城南地区に居住する私としては、東海道線?、京浜東北線?、湘南新宿ライン?、南武線?、あるいは東横線で横浜、京浜急行で横浜といったところが選択肢となる。
     いろいろ考えたけれど、湘南新宿ラインで大崎駅乗車がベストだと考えた。
     大崎駅に出る。北口は閑散としているので店開きする場所には事欠かない。エレベーターも2カ所もある。
     ちょっと気になったのは「節電中ですので、障害のない方の使用はご遠慮ください」との張り紙。
     うーん。このご時世、そりゃそうだけど、この自転車抱えて階段上り下りするほうが迷惑だよなあ。
     エレベーターを使用することに決定!・・・申し訳ないです・・・電力使用量の少ない休日だから勘弁してね。
     さて、電車の運行も調べてこなかった私は、適切な電車がくるのをしばし待つ。
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    東海道線に連絡する列車もあるらしい。こいつは急行だから一気に横浜まで行ってしまう。
    新木場行き?・・・これは反対方向だ。
    湘南新宿ラインで新川崎で下車する。新川崎の先は横浜だから。
    この新川崎という駅は六郷から結構遠くて、連絡がよければ南武線にそのまま乗り換えも考えていたけれど、結構遠かった。

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    南武線に乗るつもりならば武蔵小杉で乗り換えた方がまだまし。
    いつものように多摩川に出る。雨は降っていないけれど夕方から雨の予想。私は『雨男』ではないけれど『晴男』でもないらしい。どこに出かけても『曇り』のことが多い。
    こちら側はサイクリングロードに舗装がないはず。護岸工事が一段落したようで以前よりは舗装路が延びていた。
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    やっとたどり着いた六郷橋。ここにくるまでに疲れちゃいましたよ。
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    これで、最低限の目的は終了した感じ。でも雨が降るまでには時間がまだある。

    川崎宿

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    六郷の渡しと旅籠街

     家康が架けた六郷大橋は洪水で流され、以後、実に二百年の間、渡し舟の時代が続きました。
     舟をおりて川崎宿にはいると、街道筋は賑やかな旅籠街。
     幕末のはやり唄に「川崎宿で名高い家は、万年、新田屋、会津屋、藤屋、小土呂じゃ小宮……」。なかでも万年屋とその奈良茶飯は有名でした。

    ◎川崎宿の家並
    旅籠六二軒をはじめ、
    八百屋、下駄屋、駕籠屋、提灯屋、酒屋、畳屋、湯屋、鍛冶屋、髪結床、油屋、道具屋、鋳掛屋、米屋など合計三六八軒。

     文久三年の宿図から(一八六三)
      川崎市文化財団
      東海道川崎市2023
      川崎区役所


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    道筋は明瞭で間違えることは少ないけれど、はっきり言って走りにくい。車道は狭いし歩道も狭い。人は多い。
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    しばらく走ると閑散としてきたので走りやすくなった。

    川崎一里塚跡

    正式には「市場一里塚」というらしい。 

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    一里塚というよりはお稲荷さんみたいになってしまっていますな。保存のためだったら、本当に築山つくって、木でも植えればいいのにという気もする。

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    市場の一里塚

     慶長(けいちょう)9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。
     里程の目標と人馬の休憩のための目安として、江戸日本橋から一里(約4Km) 毎に街道の両側に五間四方(約9m四方)の塚を築造し、塚の上に榎(えのき)を植えました。
     ここは江戸より5番目の一里塚に当たり、市内で最初の一里塚です。明治9年(1877)地租改正にあたり払下げられ、左側の塚が現存しています。昭和初期まで塚の上には榎の大木が繁茂していました。
     昭和8年(1933)6月「武州橘(たちばな)樹郡市場村一里塚」(添田担書)の碑が建立されました。
     平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録されました。
      横浜市教育委員会文化財課
      財団法人 横浜国際観光協会
      平成5年3月



     鶴見川
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    川崎宿にも、この絵図があったけど、この絵図ほしいなあ。全宿場分あるのだろうか

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    旧東海道 Old Tokaido Route
     古代から多くの人に利用されていた東海道は、17世紀のはじめ徳川家康により江戸と京都を結ぶ重要な街道として整備されました。宿場が設けられ距離の目安として一里(約4Km)ごとに道の両側に一里図下を築きました。市場西中町には、この一里塚が片側だけ、今も残っています。海に面して景色が優れていた鶴見や生麦は、川崎宿と神奈川宿の間の「間の宿」としてにぎわい名物、「よねまんじゅう」を商う店や茶屋が繁盛したといいます。



     鶴見駅

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    こちら側が東海道と思われる。

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    さびれた商店街のように見えるが、旧国道とのこと。

    しばらく走ると、生麦事件の碑。

    もうこんなところまで来てしまいましたか。この生麦事件記念館は個人の方が蒐集されておられるそうで、立派なものだとか。吉村の生麦事件と取材ノートに記されていた。

    横浜市教育委員会が建てたガイドは、最近更新されたらしく、以前のものとは文面が異なっている。いまいち何を言っているのか、よくわからない。以前のものの方がストーリー性があって理解されやすいと思う。

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    生麦事件碑

     文久二年八月二十一日(西暦一八六二年九月十四日)、勅使大原重徳を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩島津久光の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人四名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人一名を殺害、二人に深手を負わせました(生麦事件)。この事件は、翌年に薩摩英戦争を引き起こしました。
     明治十六年(一八八三)、鶴見の黒川荘三は、イギリス商人リチャードソンが落命した場所に、教育学者中村敬宇に撰文を依頼し遭難碑を建てました。
      平成二十二年十二月 横浜市教育委員会

     現場見取り図

    本来この碑はリチャードソンが絶命した場所に置かれていたそうだ。いまは移転中だそうで、絶命する寸前、必死に馬にしがみついて逃れる途中だった場所だろうな。

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    場所はキリンビール工場の北側に当たる。写真の塀がビール工場の塀。

    昔はこうだったわけだ。

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    この生麦事件というヤツ、どう考えてもイギリス側も悪いですな。あえて喩えれば、

    カリフォルニア州知事のパレードに、外人系運転手の車が間違えてつっこんだようなものか。

    もちろん軽犯罪で成敗というのも短慮であるのは確かだけれど。相手国の法律や慣習を理解しようともせずに、自国のセンスでしか理解しようとしないのが白色人種の悪いところ。とくにイギリス人は特殊かもね。フランスやイタリアは、古くからの多民族国家だから、そういう驕りはすくないのかもしれない。

    ここを過ぎれば、あとは国道15号沿いを走ることになる。道を挟んで旧道かもしれないと思われる小道はあるものの、どれが正解かは調べられなかった。

    キリンビール館。次回は中に入りたい。切望!

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    途中で立ち寄ったラーメン店。元気の源。

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    どうせ名前をつけるのなら「元気の源基」とか、「元気の起源」、いや「元気のきんげ・・・」
    だめだ・・・下から読んでも「まさこさま」にならないぞ。
    麺が太かった割にはコシがあってうまかった。スープの濃さは任意だそうだから次回は薄めにしてもらった方がいい。残念ながら二度と行く機会はないだろうけど。
    ニンニク入れすぎだ。数時間後に効いてきた。


    ここから、国道15号を離れて山沿いを走ることになる。国道15号は広いので早めに横断しておかないと、信号機を探して、行って戻ってのロスとなる。

    予定していたコースより一本北側の小道が旧道のようだ。

    神奈川駅
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    道々考えていたのだけれど、東海道には「横浜宿」は元来なくって「神奈川宿」なんだよね。ということは、とりあえず本日の目的達成ということになる。
    まだ雨は降ってこないし、まあ、神奈川宿を見学としましょうか。
    しかし、なんでこんな山沿いに主要構造物を建築したのでしょうかね。ここより下は海だったのかなあ。
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    横浜の町に、こんな隧道があったっけ?

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    隧道
    近づいてみると、東横線トンネル跡のフラワーロードとある。東横線は地下化されるまえに乗っていたことがある年代だけど記憶にねえなあ。
    地図で調べると反町から神奈川への間に存在していたことになる。しかし、けっこうな勾配だけど、よくぞこんなところに鉄道通したなあ。

    田中屋
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    田中家
    神奈川宿がにぎわった当時から続く唯一の料亭が、文久三年(1863年)操業の田中家です。
    田中家の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれた由緒正しき店名です。高杉晋作やハリスなども訪れました。

    坂本龍馬の妻「おりょう」
    「おりょう」が田中家で働き始めたのは明治7年、勝海舟の紹介で働いていたと伝えられています。英語が話せ、月琴も弾くことができた「おりょう」は、外国人の接待に重宝されていました。

    江戸時代から続く料亭だそうな。いちど入ってみたい気もする。

    神奈川関所跡。

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    神奈川台の関門跡

     ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺戮され、イギリス領事館の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は、安政六年(一八五九)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が神奈川台の関門である。
    明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止された。



    そして本日の最遠点。

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    というのは厳密にはウソでここから東海道を離れて関内に出かけた。

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    そして帰りは関内から京浜急行線・品川乗り換えで山手線。帰りは疲れていて輪行という選択肢しか残っていないから大胆になる。

    本日の総走行距離24.9Km。なんだ・・・これしか走っていなかったのか。ブロンプトンでは普通かも。最近GR24の24×1インチタイヤなどという細身の自転車に慣れてしまうと重量感があるなあ。


     

    東海道の旅 二宮 2011年10月31日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    2011-10-23

    最近、膝の故障もあり、山登りは見送っている。けれども休日に家に閉じこもっているのも味気ない。

    理由もなく東海道の「二宮」を目指した。あえて理由になりそうなものをあげれば、大磯までは、ちゃんと歩いてはいないもののなんらかの形で既に知っていること。
    二宮は山がすぐ側に迫り、ハイキング気分が味わえそうだったこと。小田原から先は別のステージのような印象があること。

    東海道線は便利だ。品川から乗れば、あっというまに横浜を過ぎる。そうしてしばらくすれば二ノ宮に着く。
    二宮駅を山側に降りる。山手線では内回り外回り、上り下り、西口東口などという言い方があるけど、山側ホーム、海側ホームという言い方が実際に使われているのを初めて知った。

    二宮の駅は、町おこしがしっかりしているのだろうか、市内のハイキングコースのパンフレットが沢山あった。ありがたいことだ。

    北西に向かうと、公園入り口がすぐにある。ここを登っていけばいい。
    秋になったというのに、この日はやたら暑い日で、着てきたマウンテンパーカはすぐに不要なものになってしまった。しばらく行くと神社がある。
    縁起には
    源頼朝が伝伝とあった。
    このころの話は戦勝祈願か海が荒れて静めたとかの類が多い。
    だいぶ古いものだ。しかし宮は新しい。つい数年前に新築したようだ。
    政教分離なんたらかんたらで、市が新築の費用を持つことはできるのだろうか。などとくだらないことを考えていた。
    僕的にはみんなのものなのだから、費用負担するのはあたりまえのことのような気がする。でも原理主義者がいる宗教はうるさいんだよな。キリスト教とくにプロテスタントの一派とか。

    木立の合間から海が見える。風が気持ちいい。汗が引くまでしばらく本を読む。

    小説を読み終わっても仕方がないから、再度動くことにする。
    見晴らし台は、芝生の公園になっていて眺望がいい。丹沢の山々、富士・箱根、駿河湾が見渡せる。
    こども連れの家族が微笑ましい。子供は、芝生を転げまわって
    「ほら頭洗えないのだから、ごろごろしたらだめでしょ」
    などと注意されている。頭にケガでもしているのだろうか。

    ここから、国道一号方面に降りた。途中、別の神社がある。こちらの方が本格的だが、さびしい感じもする。
    石摘みには「東京自由が丘 誰ベえ寄贈」などという文字が見える。自由が丘ねえ? ここから自由が丘に移住した人なのだろうか?

    さらに山道をくだると国道に出る。国道も東海道線も渡ってしまって、さらに小田原厚木道路もくぐって海に出る。
    ああ、海だなあ。見慣れた東京湾とは違って波が高い。
    はっきり言って、ここの海岸は歩きにくい.砂浜ではなく小砂利の集積体なのだった。
    この海岸で下の娘がよろこびそうな石をひろう。ごま塩のうずら卵みたいなものが理想だったが、これだけ沢山あるのに適当なものが案外ない。
    しばらく探し回ってやっと見つけた。

    車がびゅんびゅうん通る国道1号ではなく、この砂浜をたどって、つぎの駅まで行こうとしたら、川に遮られて進むことができなくなった.
    国道へ戻ろうにも小田原厚木道路に邪魔されて、反対側に出る通路が明らかに少ない.
    「津波が来たら退避できないジャン」
    と思いながら犬連れのご夫婦が消えたと思われるガードに向かう。

    出たところは一里塚跡でちょうどいい場所に出くわした。ここからは、国道一号に沿って歩いた。
    一里塚跡からは下り勾配になる。夕暮れに箱根の山が見える。
    箱根はハイキングで行ったこともあり、上には芦ノ湖や温泉もあって、とても天下のけんとは思えなかったのだが、二宮の下りから見る箱根は、まさしく天下の劔という感じだった。
    次の駅は国府津という。国府津行きのバスは結構沢山出ているようで、なんども追い抜かれた。バス停を見る度、次は駅かと思うのだが一向に駅に着く様子はない。
    坂を降ると小田原厚木道路と国道一号が接近し、料理屋なども見られるようになってくる。料理屋からただよう匂いが、遠い昔、家族と行った海辺の民宿の匂いを思い出させた。

    またも追い抜いていったバスが国道1号を右折したのを見て、やっと国府津駅についたのがわかった。

    東海道巡りのありがたいところは、夜おそくになっても電車が尽きないことかもしれない。昼過ぎに出かけて陽が暮れても、最寄りの駅から帰宅することができる。
    そこで、駅前で夕食にする。海に沿って歩いた日でもあり、おいしいお刺身が食べたくなった。
    駅前に「相心」という小料理屋というか日本食レストランがあったので、ここに入る。

    ビールを頼んで
    お造り。三点盛り。三点ではなくて四点入っていた。
    カキフライとごはん、みそ汁。
    つまみだけでは夕食を食べた気にならない、まだまだお子様の私だった。
    おいしかった+満足した。
    お勘定すると店の大将が出口まで見送ってくれた。けれど目的地はまだ遠い。残念ながら当分来店できないよ。

    東海道 国府津~小田原 2011年11月01日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    2011-10-30

    先週、二宮から国府津まで歩いたので、その続きを。

    残念ながら天気があまりよくない。天気予報では雨マーク。でも東京は晴れていたので、とりあえず行ってみる。
    本来なら、折りたたみ自転車を持参しようかなと考えていたのだけれど、雨ならどうせ歩きだろう。

    国府津の駅に着いたら、やっぱり雨が降っていた。なんとか止みそうな雨だったし、本当にパラパラなんだけど雨の中歩きたくもないので駅で雨宿り。

    国府津の駅は海側から小田原厚木道路・国道1号・JR東海道線と接近しているなあと思っていたけど、駅から眼下に海が見えるとは思わなかった。

    国府津はjR東日本とJR東海の境界駅になるのだそうだ。路線は東海道線と御殿場線が連絡している。二宮もそうだったが国府津といい、小田原といい、案外交通の要所なんだね。

    たいした雨ではないから傘をさして歩こうとしたら、傘を忘れた・・・ことに気がついた。仕方がないので駅前のコンビニで折りたたみ傘を購入する。千円の出費なんとなく残念。

    傘をさして歩く。たいして降ってもいないし、暑くもなく寒くもないので、楽しくないこともない。遠い箱根の山が見える程度の雨だった。
    街道は新しい街並みになってしまっているけど、昭和の匂いのする建物も少なくない。
    残念なのは、どこに行ってもシャッター街になってしまっていることだ。日本は大丈夫なのかね。

    この古い街並みとか、家は新しくなってしまっているが土蔵は古いままという御宅が目についた。残された神社仏閣とか目についたものを写真に撮りながら歩く。品川宿もそうだったが、東海道は神社仏閣が多いね。

    山近記念総合病院・・総合病院ということは脳外科も完備されているのか? 今、調べてみたら確かに脳外もある。157床で総合病院。たいしたもんだ。とうやって経営しているんだろう。

    ここから、数本松並木が続く。一里塚のバス停があったが一里塚らしきものは見えない。
    社団法人 海水総合研究所・塩業資料室・・・うーん。こんな研究所があるんだ。いったいなにをやっているところだろう。
    続いて明治洋館風の建物が見えた。近寄ってみると公民館らしい。
    万葉の湯の看板発見。小田原に温泉かあ。時間があれば入浴したいね。
    ただ、この手の温泉でカード情報のスキミングが行われていたという情報がある。気をつけなくっちゃね。
    酒匂川にでた。多摩川より広いかも。まあ河口でもあるし。

    雨でもあるし、しばらく歩いたら飽きた。

    飽きたら海岸に出る。ここも相模湾だが天気が悪い分、先週より波が高い。二宮の海岸は小砂利だったが、ここの海岸は砂浜がある。
    海は大好きだが、長居する用事もあまりない。釣りの趣味がないのが残念だ。
    再び歩く。前回のように行き止まりにならないよう、見つけた退避口からさっさと脱出した。

    山王川を渡ると、本当に小田原市内という感じになった。道は4車線化するし、両側に古社はあるし。

    だんだん暗くなってきた。今日の最終到達地点は小田原城にしようと思う。拝観できる時間ではないがお城を眺められたら今日の冒険は終わりにしようと決めた。

    国道一号を直進すると、右=小田原駅、左=小田原城・箱根方面のT字路にでる。標識にしたがい左折して右折すると、小田原城方面に出るはずなんだが。
    上杉兼信も攻めあぐねた小田原城なら、正門前が広場になっていて観光バスも沢山止まっていて、などというのがイメージだった。が、ない。

    やっと城らしき建物が見えてきた。
    「おっ、開いてるぞ」
    中を覗いてみたら
    「ういろう館???」

    もう少し先まで足を伸ばして、いよいよ怪しくなって引き返した。あの「ういろう館」を北へ曲がるのが正解だったようだ。
    ようやく堀にでる。小田原城は堀が狭く、周囲にビルが立ち並んでいる。とりあえず目的は果たしたようなので、小田原駅に向かう。
    こんなに立派な城址があるのに、小田原市民は使い方がヘタのような気がする。
    お掘の回りに料理屋だのショップだのつくれば一大観光名所になるのに。東京もそうだが、水をうまく利用しているのは京都市だけなのかもしれない。

    さて、目的達成したところで夕食は何にしようかな。じつは候補がいくつかあがっていた。そのうちの一つが「うなぎ」。
    本日道をあるいていたら、なぜかうなぎの蒲焼の看板が目についたんだ。うなぎと梅干し、塩からの看板が多かった気がする。
    みつけたうなぎ屋は、松竹梅ではなくてグラム表示になっていた。具体的には140g、200g、230g、250g、300g
    ステーキじゃないけど、これはこれでわかりやすい。
    ビールを頼むとうなぎの背骨と塩からがつまみに出てきた。
    おお、ちょうどよいではないか。

    しばらく待たされたのち、でてきた200gの蒲焼は、量が少なめだったが、とても柔らかくうまかった。かつて食べた中では最高のうなぎだったかもしれない。

    帰りの電車は、せっかくだから新幹線を使おうかとも考えたが、費用節約のため各駅停車にした。
    どうせ、途中で眠ってしまったので、新幹線にしなくてよかった。

    東海道 神奈川宿~戸塚 2011年11月11日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    横浜
    神奈川宿に出るには、東横線の反町が近い。地下化してしまった東横線のかつての高架は、フラワーロードとなって残っている。反町からこのフラワーロードを歩くと、すぐに反町トンネルに入る。トンネルを抜けると雪国じゃなく、旧東海道なのだった。
    関所跡だとか、いろいろあるものの、すべて「跡」であって、要するに案内板しか残っていない。

    保土ヶ谷
    権太坂
    西に向かう東海道の最初の難所がこの権太坂であるという。我が家のまわりにある坂と比べても強力な坂じゃない。全然苦にならない。
    頂上に近いところにある県立○○高校は、グランドも広くて、いいところだなと思った。
    一里塚
    切り通しの両側にそびえるようにして一里塚が残る。このあたりは、やけに道幅が狭く山道だったんだなと思う。
    不動尊
    ここは、昔ながらの面影を残しているようだ。

    戸塚
    旧東海道の宿場は、現在の東戸塚駅あたりだったそうだ。
    このあたりで陽が沈んできたので、本日の行程はおしまいにすることにする。
    東戸塚駅で何か食べて、いい気分になったところで帰ろうと思って、適当な食堂を探したのだけれど、たいしたものはありませんでした。
    ラーメン屋、チェーン店の飲み屋、回転寿司、もんじゃ焼きぐらいしか見当たらなかった。
    一番、気分にあいそうな焼き鳥屋にした。


    東海道 東戸塚~国府津 2011年12月11日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    東海道の旅も、西は小田原まで延びているが、足跡を東戸塚~大磯の間できちんと記していないので行ってみることにした。

    東戸塚までは、前回、徒歩で歩いている。今回、時間がないわりに距離が長そうなので、自転車にした。
    Bromptonは便利だ。自転車の走行そのものを楽しむ人には不足なんだろうが、自転車を足がわりに、電車に持ち込むことを優先する私みたいな人間にとっては、究極のツールかもしれない。
    そういえば、肩の故障でしばらく自転車に乗れなかった。キャリアを外しサドルを替えた軽量化バージョン。今日はその初試乗となるのか。
    大崎から横須賀線で東戸塚。あっというまだ。
    R0012861.JPG
    ここで、自転車を走行モードに。
    県道のバイパスに出て、歩道橋の脇から細い道に入っていく。
    東戸塚から戸塚、藤沢、茅ヶ崎、平塚と難なく目的地まで到着してしまった。

    見物ポイントを少々ご紹介すると
    遊行寺
    もう一ヶ月もすると、箱根駅伝で有名な心臓破りの坂といわれるところですね。
    R0012900.JPG
    時宗だそうですが、いいお寺ですねぇ。
    R0012906.JPG
     
    トイレを拝借します。
     
    『いつもお手洗いが清らかなのは』
    『あなたの気遣い心遣いのおかげです。』
     
    ・・・いえいえ、それ程のことは、しておりません。

    『さぁ、一歩前へ!』
     
    ぎゃあ・・・
    R0012907.JPG
    義経の首洗い塚
    R0012916.JPG
    旧道に面した路地の奥にあります。言われないと気がつかないぐらい。
    R0012917.JPG
     
    相模川 馬入橋
    いよいよ平塚に突入です。あ、富士が見える。
    R0012928.JPG
     
    海が近いですなあ。
    R0012931.JPG
     
    平塚は都会です
    R0012936.JPG
     
    大磯海岸
    町立大磯中学校
    R0012942.JPG
    太平洋に面した、絶好のロケーションにあります。
    青春TVそのものといった感じ。生徒達にはいい環境でしょう。
    ただし、津波は怖いわ。
    R0012946.JPG
     
    ちょうど、この辺りが有名な、大磯の松並木ポイント
    平塚~大磯間は、かつて高麗山経由で歩いている。でも東海道は通っていないので大磯まで行ってみる。
    新しい発見は、平塚から大磯の入口付近に松並木が集中していると誤解していた。実際は大磯中学校あたりから松並木が現れる。
    R0012951.JPG
    ちょっと、急ぎすぎた感がある。自転車で国道1号を走るだけなら、あまり面白くないと感じた。なにしろ、今回の区間は脇を通る車が多すぎるんだ。
    危ない思いをして、排気ガスを吸いに行くのはつまらないかもしれない。
    それなら、旧東海道にこだわらず、茅ヶ崎から太平洋岸自転車道を走った方が楽しいかもしれない。
     R0012943.JPG
    海岸沿いに名だたる別荘が集中しているんだなあと、自転車を走らせると二宮を過ぎてしまっていた。
    二宮~国府津間は、二宮なんとか公園の丘陵地帯を歩いている。だから、ここも東海道を進んでみる。
    二宮~国府津ときて今日の旅行はおしまい。
    今回、自転車にて距離を稼いだためか見物したところが少ない。
    R0012954.JPG
    本日の走行距離43Km
    江戸時代は、ちょうど戸塚の宿から小田原までが、上方上りの第2日目だったというから、昔の人の足は大したもんだ。
    昔の人は4時出発。こちらは11時30分移動開始だから、まぁ、所用時間が違いすぎるが、距離と連続歩行時間に対する忍耐は驚異的だと思う。

    三国街道 旧街道調査編 2013年10月05日 旧街道 トラックバック:0コメント:3

    旧街道が好きだったりする。子供の頃に見た「木枯し紋次郎」の影響にちがいない。

    monjiro_op.jpg

    東海道は1/4ぐらい歩いてみたが車が多すぎてちょっと興ざめしてしまった。車が来なくて昔の面影を残している旧道となれば、「三国街道」が良いのではないだろうか。三国峠越えなんてハイキングだし。そのうち行ってみよう。

    まずは調査編。

    三国街道 (Wikipediaより)
    三国街道は、中山道の高崎(群馬県高崎市)から分かれ、北陸街道の寺泊(新潟県長岡市寺泊地域)へ至る街道である。
    三国峠は関東と越後を結ぶ交通路としてきわめて古くから利用されており、上杉謙信の関東遠征の際に利用された。主要街道としての三国街道は、近世(江戸時代)に参勤交代に利用されるようになってから重要視されるようになった。長岡藩、与板藩、村松藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟港巡検の関八州取締出役などがこの街道を利用した。また、当時の宿場には、渋川や湯沢をはじめ「三国峠越えの三宿」と称せられた三俣、二居、浅貝などがあった。

    宿場
    1.高崎宿(群馬県高崎市)
    2.金古宿(群馬県高崎市)
    3.渋川宿(群馬県渋川市)
    4.金井宿(群馬県渋川市)
    5.北牧宿(群馬県渋川市)
    6.横堀宿(群馬県渋川市)
    7.中山宿(群馬県吾妻郡高山村)
    8.塚原宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    9.下新田宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    10.布施宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    11.今宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    12.須川宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    13.相俣宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    14.猿ヶ京宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    15.吹路宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    16.永井宿(群馬県利根郡みなかみ町)
    17.浅貝宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
    18.二居宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
    19.三俣宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
    20.湯沢宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
    21.関宿(新潟県南魚沼市)
    22.塩沢宿(新潟県南魚沼市)
    23.六日町宿(新潟県南魚沼市)
    24.五日町宿(新潟県南魚沼市)
    25.浦佐宿(新潟県南魚沼市)
    26.堀之内宿(新潟県魚沼市)
    27.川口宿(新潟県長岡市)
    28.妙見宿(新潟県長岡市)
    29.六日市宿(新潟県長岡市)
    30.長岡宿(新潟県長岡市)
    31.与板宿(新潟県長岡市)
    32.地蔵堂宿(新潟県燕市)
    33.関中島宿(新潟県燕市)
    34.渡部宿(新潟県燕市)
    35.寺泊宿(新潟県長岡市)

    旧街道のルートを調べてGoogleMapに表示させてみた。

    より大きな地図で 三国街道 を表示
    このブログ中には、Google Mapの地図が出てきますが、「大きな地図」をクリックして、KMLをクリックするとデータがダウンロードできます。
    カシミール3DやGPS機器へ、インポートできます。

    おそらくこんな感じだろうが、川を渡る部分でいくつか不明瞭となる。だいたい、昔の橋とか渡しとかが現代と一致していないんだよね。
    中山宿あたりは、山越えの経路がいくつかあったらしい。

    決定的に、よくわからないのは、六日町〜五日町の間で美佐島と呼ばれる辺り。いろいろ調べたけどわからないので、国道17号が建設される前と思われる1948年米軍の航空写真を参考にしてみた。
    これで見ると、六日町の宿場って現在の駅から東よりの魚野川に近いところにあった模様。ここから二日町へ続く二日町橋への道周囲に民家が集積している。
    では、五日町への経路はというと、上越線の線路沿いに行ったり来たりの小道が続く。
    美佐島付近地図
    おそらく、これが旧街道で線路に分断されてしまったのではなかろうか。

    ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えください。

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    北国街道 (信越) 旧街道 調査編 2013年10月07日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    2013年も後半期になって忙しくなった。当分、実地探索には出かけられそうもなくなってしまったので、過去に調査した街道筋を載せていく。いつの日にか実地で踏破できますように願いを込めて。

    北国街道 (信越)

    北国街道と呼ばれた道は、大きく分けて2本あった。
    1.中山道追分から直江津までを結ぶもの。
    2.米原から直江津に通じる街道

    このうち、中山道追分から直江津までの北国街道 (信越)を書き出す。この道は、徳川幕府にとって佐渡金山と江戸を結ぶ重要なルートの三つのうちの一つ。

    北国街道 旧街道地図
    机上の調査です。踏破したものではありません。実際とは異なっている可能性があります。

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    甲州街道 旧街道 調査編 2013年10月08日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    甲州街道

    云わずと知れた甲州街道です。今は国道20号という方が判りが良いかも知れません。新宿から八王子・高尾山の横の小仏峠を通って、さらに笹子峠、甲府につきます。
    さらに、中山道の下諏訪宿までが一般に甲州街道と呼ばれていたようです。

    甲州街道は、木枯し紋次郎では頻繁に登場しますね。


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    十石街道 旧街道 調査編 2013年10月12日 旧街道 トラックバック:2コメント:0

    群馬県高崎市から鬼石・十石峠を越えて長野県佐久市に至る街道である。
    信州佐久平から上州西部に、一日十石の米を運び込んでいた道であることからこの名がつけられたとされる(wikipedia)。


    より大きな地図で 十石街道 旧街道地図 を表示
    (机上の調査ですので、実際とは異なっている可能性があります)

    高崎市新町から始まる。
    藤岡市岡之郷の交差点で関越高速道をくぐると県道40号線となる。新幹線のガードをくぐり、八高線の踏切を渡る前の環境浄化センターあたりで群馬藤岡駅方向の路地に入る
    踏切を渡って駅西側に出る。この辺りは区画整理されてしまったようだ。
    とりあえず直進して県道40号線に復帰する。
    四丁目交差点の南西角に道標(Street mapで確認できてしまった。便利だな)

    ここから「西上州やまびこ街道」と名付けられている。
    この先、天満宮の南で2つに分岐する。東南方向の道が旧道ないし旧旧道らしい。

    より大きな地図で 十石街道 旧街道地図 を表示

    これを辿ると牛田工業団地付近で県道13号線と再び合流するのだが合流する地点が不明瞭。

    より大きな地図で 十石街道 旧街道地図 を表示
    造成された工業団地のせいかと思い、1940年代の航空写真を調べてみた。
    http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=211340&isDetail=true
    確かに現代の「西上州やまびこ街道」に比べ、こちらの道の方が人家が集まっているようには見える。
    しかし、街道らしくはない。工業団地のさらに南にも明らかに街道だと思しき道はない。
    それに比べると県道13号線は、終戦直後でモータリゼーションも発達していない1940年代でさえ街道らしくはっきりしている。どうも街道となってから、相応の年月が経過しているように思える。だから、十石街道は現在のやまびこ街道とほぼ同一で、前述の道は旧旧道ぐらいの位置づけでよいのではないだろうか。
    道は浄法寺で東から国道462号線が合わさり国道となる。鬼石の街の中心部へ入る諏訪の交差点で2つに分岐する。南西へは現代のやまびこ街道で南東へ向かい鬼石の町を貫く県道13号が旧道だろう。
    川に突き当たる手前で西へと経路をとるが、かつては川を渡ってから西へ曲がっていたそうだ。この先で再び国道462号線に合流する。Google Mapでは、ここから「十石峠街道」と名称がついている。
    神流川に沿って南下するが、譲原からいよいよ山越えの道に入る。

    十石街道参考文献
     十石街道 群馬県教育委員会
    その他参考にさせていただいたホームページ
     旧街道・歴史の道の旅
     山岳爆走隊 MTB親父のHome Page
     山と街道

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    下仁田街道 旧街道 調査編 2013年10月17日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    下仁田道

    中山道の脇往還であり、上州姫街道などとも呼ばれた。中山道本庄宿から分岐し、上州藤岡宿・吉井宿・福島宿・富岡宿・一ノ宮宿・宮崎宿から小坂坂峠を経て、下仁田宿・本宿宿・初鳥屋宿から鰐坂峠を越え信州借宿で中山道へと戻る。中山道古道のひとつであるが、別ルートが中山道本道として指定されたことから脇往還となった。Wikipedia


    より大きな地図で 下仁田街道 旧街道地図 を表示

    上州から信州へ至る峠道のうち、北から中山道・下仁田道・十石峠街道があったことになる。

    おおよそ国道254号に沿っているけれど、下仁田から、和美峠・プリンスホテル内のゴルフコースに入ってしまうとよくわからなくなってしまう。航空写真では、その形跡がはっきりと残っているようだ。

    個人的には軽井沢へ遊びに行くとき、上信州道が渋滞すると下仁田ICで降りて、渋滞を回避するのに使った。

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    伊那街道 旧街道 調査編(1) 豊川〜大海 2013年10月24日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    旧街道をGoogle Mapに重ね合わせてきましたが、これは(いつの日か)自分が歩くために道順を整理しているためでありまして、「旧道を発掘」しようとしたものではありません。それに道というものは時代とともに変遷するもので必ずしも一つと限ったものではありません。したがって、私の地図に誤りは多々あると考えていただきたいと思います。

    さて伊那街道なんですが、三州街道とか飯田街道とかいろいろ別名もあるようです。しかしながら三州街道は「足助」を経由している道であることが多く、厳密には「伊那街道=三州街道」ではないようです。
    今回は、豊川市から新城・与良木を通るルートを採用させていただきました。

    より大きな地図で 伊那街道 旧街道地図 を表示
    手元に資料が少なく、主にウェブ上にある記事を参考にさせていただきましたのを、あらかじめおことわりさせていただきます。

    伊那街道と東海道の追分は、飯田線小坂井駅北側の駅を出て150m付近の場所だとされているます。もうひとつ、江戸時代の出発点は飯田線南側付近だとされている方もあります。

    より大きな地図で 伊那街道 旧街道地図 を表示
    こちらを追分だったとすれば、街道の割には随分曲がりくねっていたことになりますので、現代の道を暫定的に採用させていただきました。

    この先、豊川駅を過ぎ東名高速へ向けて進んでいきますが、豊川ICのところは整理されすぎて跡形もありません。
    さらに進み、長山駅では駅前を通るという記事もありますが、

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    河川沿いから段丘を上って、また降りるという経路もよくわかりません。そこで、ここも参考とさせていただきました。
    豊川の河川敷に降りると江島橋付近から豊川の河岸を辿ることになります。ここはサイクリングロードらしき道を採用させていただきました。
    新城駅付近ではクランク状に道が曲がっています。これを曲尺手(かねんて)と呼び、敵の侵入を防ぐためのものだったそうです。

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    新庄駅西の曲尺手は現301号線そのもの曲がっていますが、その2本先の駅に近い細い路地の方が本来の曲尺手だったとするものもありました。

    この先、大海まで街道の経路は保たれているようです。

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    参考にさせていただいたサイト
     Network2010
     豊川上流域 そーなんだ!
     白髪閑人の足跡
     その他の皆様
    さらに、Google Earthではなくて、国土地理院の1970年代の航空写真が参考になりました。Earthの方は鮮明なのですが新道開通にあたって旧道が消えているところが多く、また緑豊かなため、ますます訳がわからなくなっています。

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    伊那街道 旧街道 調査編(2) 大海〜小松口 2013年10月26日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    大海を左折し国道257を北上します。この辺りでは国道257号は「鳳来寺道」と名前がついています。

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    国道から付かず離れず北上していきます。森下を過ぎ「寒狭川頭首工」を越えた辺りで右折して海老川を北東へ向かいます。

    より大きな地図で 伊那街道 旧街道地図 を表示

    現代の道は海老川を渡った西側の右岸を通っていますが、手前の国土地理院の地図で点線になっている左岸がルートだったようです。
    玖老勢の町に入ると県道と合流します。このまましばらく左岸を進むようです。
    萩平では真北に進んで、川を渡り柿瀬に入ると思われます。

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    「そーなんだ」のブログの方は、ここに木橋が架かっていると書いておられます。たしかに、ここで渡った方が村に侵入しやすい。
    川の右岸か左岸、どちらに道がついていたかは、街道筋にある「家屋」の数が目安になるようです。
    さらに、海老川をもう一度渡り左岸に戻ります。ここから道は当分左岸にあったはずです。海老の町を過ぎると清水川と名前を変えます。松下でようやく右岸に渡り真菰に入ります。
    清水川の右岸を進み、なおも北上し県道と別れ与良木峠への登山道に入ります。国土地理院の地図では当初、車道で、ついで点線になっている道です。ここから東回りで与良木峠に達するのが昔の道だと思われます。

    より大きな地図で 伊那街道 旧街道地図 を表示

    与良木峠を越えてから、車用のカーブをパスして北上します。徒歩ならではのコースでしょうね。
    しばらく行くと国道257に合流しますが、五道のバス停を過ぎた辺りで、国道を離れ川岸に降り安沢を渡り、右岸の点線を行くようです。

    より大きな地図で 伊那街道 旧街道地図 を表示

    国道257を辿らずに山道を通って田口バス停に向かいます。この辺りは伊那街道の石畳が残っている場所として有名なようです。

    より大きな地図で 伊那街道 旧街道地図 を表示

    田口の町では、おおよそ現代の国道257に沿い、大田口バス停北方の国道が大きくカーブしているところ、ここは直進して短縮していたようです。

    より大きな地図で 伊那街道 旧街道地図 を表示

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    伊那街道 旧街道 調査編(3) 小松口〜津具 2013年10月28日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    今回の道筋は信用しないで欲しい。

    小松口バス停まで延びた道は、ここから松坂峠・知生峠を越えていたらしいが、地図上に点線すらも残していない。

    仕方がないので、地形図とにらめっこして、また1970年代の航空写真を参考にして、こういう風に道があったはずだと書いてみた。

    小松口バス停から東へ、沢に沿って100m程度。北へ左折し橋を渡る。ほぼ真北に進み松坂峠を越える。北東に進路をとり沢に向かうと沢沿いに道があるはずだ。これを北西に境川を目指して下る。

    境川手前で川に沿って上流へ谷合付近まで左岸に道があったはずだ。的場橋・風越橋・谷合バス停あたりを左岸に沿って北東へ進み、谷合バス停付近へ出る。
    現代の地図を見てもわかるのだが、浸食によって左岸が削り取られてしまっている。したがって八橋へそのまま左岸を伝って歩くことができないかも知れない。

    谷合バス停付近から知生峠方面へ登り始める。この辺りも机上では調査が困難だ。地形図から歩きやすそうな場所を探せば、当初、八橋川に沿って登り、途中から740mと860.3mのピークの中間地点を目指して登る。860.3mのピークの西側を巻くようにして北上し、知生峠を越え境橋方面へ降りていく。
    あるいは、知生峠から標高700m付近を巻いてスノ子バス停へ降りていくのが昔の道なのではあるまいか。

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    東海道 小田原攻略失敗の巻 2015年11月24日 旧街道 トラックバック:0コメント:7

    名古屋に出張となりました。
    連休なので一日ぐらいは観光してもよいのでは?
    しかし、愛・地球博には2回も行ったし、名古屋城も見学済みです。それ以外に、どこがお薦めなのか、まったくわからない。

    とりあえず興味が出たのは、以前から続いている東海道の旅。
    名古屋から東京に向かって、いや、小田原までは歩いているから

    小田原攻めじゃ」というわけです。

    出張最終日は瀬戸市に宿泊しました。
    宿泊したホテルは神社の中

    なんで、こうなった?

    「以前は神社の結婚式場だったんです」
    ああ、言われてみればなるほどね。

    この神社は、陶工を奉っているのだとか。

    狛犬も陶器のようです

    町の中を歩いても、陶器の店や陶芸教室の張り紙だらけ。

    やっと気がつきました。

    せともの』の瀬戸って此処のことだったのね!

    愛知環状線で岡崎に出ることにしました。

    環状線といえば山手線を思い浮かべますが、こちらの円弧は遥かに広く、南武線と武蔵野線を繋げたようなもの。
    かつては田園地帯、今は住宅地というところを走っています。

    車窓からトヨタの工場を眺めたりしながら、中岡崎・岡崎公園駅に到着です。

    岡崎は27曲がりとかいって、攻めにくいよう東海道を曲げているんだとか。
    これが旧道だというのだから仕方ありません、これにしたがって歩くことにします。

    途中、岡崎公園に寄りました

    岡崎城の方は、よくあるコンクリート造りで、見るべきものは殆どありませんが、

    家康が見ていたであろう風景を観るために天守閣に昇りました。
    天守閣
    「苦しゅうない。どうじゃ我が領地は」

    つづいて、家康館という展示場に行きます。

    ここでは、松平家の歴史と関ヶ原の戦いの解説です。

    まあ、徳川万歳なのでしょうが、岡崎は徳川支配の後、本多とか水野とか直参大名に下げ渡されています。
    家康誕生の地なら、なんで直接支配にしなかったんでしょうね。
    家康にしたって、晩年は駿府に引きこもってるし、岡崎自体には、あまり愛着がないように思われます。
    「いや、男というもの土地に縛られては出世できぬものなのかもしれぬ・・・」

    などと、考えながら27曲がりを辿って、岡崎の町を歩きます。

    この27曲がり、はっきり言って迷惑です。

    27曲がりをやっと脱出する頃には、飽きてきました。

    当初予定では、自転車にしようと考えていました。
    しかし、出張先に自転車を持ち込んだら、先輩たちから
    「おまえ遊びに来たのか?」
    と変人扱いされそうだし、五十肩の具合が悪化しているので徒歩となりました。

    小田原までの経験から、自転車でもなければ、交通量の多い国道1号線を辿ろうなどと考えませんが、

    幸いなことに、この辺りは国道1号線とは別に旧道が生きている区間が長いので、徒歩でもいいかと計画を変更したのです。

    しかし、旧道が潰されて国道1号となっている部分も多く、振動と排気ガスに耐えながら歩く部分もあります。

    「やっぱり、自転車を持ち込むべきだったなあ。ホテルに送りつけておくという方法もあったかな。いや、肩が痛いから無理か」
    などと、反省しながら歩いています。

    もうひとつ、失敗だったのは靴
    ビジネスシューズにも見えるウォーキングシューズではありますが、十分に絞まらないものだから、マメが出来そうな感じです。

    1里ごとに置かれていたとい一里塚。

    古い民家は多少残っていますが、江戸時代を偲ばせるモノは残念ながらあまり多くはありません。

    藤川

    ようやく藤川の領域に入ってきました。

    しかし、いまだに岡崎市。岡崎から抜け出ることができません。

    ここは、新しく整備されたようですね。

    藤川の脇本陣は資料館になっているようですが、

    資料館というより公民館のようで、住民の憩いの場のようで遠慮しました。

    本陣跡は公園のようです。

    眺めは良いですが、「こいつが東海道だ!」というインパクトがない・・・

    もう少し上手い活用法がないものですかね?

    連休のこんな日に東海道を歩くのは私ぐらいのものだろうと思っていましたが、徒歩の人は4人、自転車の人は6人ぐらい見かけました。

    本宿

    本宿は藤川宿と赤坂宿の中間点。五十三次の宿にはカウントされてはいませんが、法蔵寺で有名なところらしいです。

    新撰組組長 近藤勇の首塚があるという。
    「は? 近藤勇って千葉の流山で捕縛され斬首されたはず。なんで、こんなところに首塚があるの?」
    調べてみると、三条河原でさらし首になった後、行方不明。
    一説には、有志によって京都の誓願寺に持ち込まれ、住職の転勤に伴いこちらに遷ったのだとか。

    いよいよ、岡崎市を離れ豊川市に突入します。
    岡崎市は長かった。

    岡崎と豊川の境は、緩やかな山地越えになっています。
    山越えなのだから「なんとか峠」と名称がありそうなものですが、
    「長沢峠」という名称だったことが判明しました。

    しばらく国道一号を歩かざるを得ませんでしたが、やっと旧道に入ります。

    旧街道は幅員の規格が決まっていますが、この辺は2間ぐらいかな。
    おおよそ乗用車2台がやっとすれ違えるぐらいの裏道という感じです

    赤坂
    「なんか暗くなってきたな。冬は日没が早いな」
    「いったい今日の日没は何時だ?」
    とプロトレックの左下ボタンを押すと日没は16:30だという。
    「げ、あと15分しかない」

    これなあに?

    昔は、こういう田舎道を延々と歩いたんでしょうね。

    この赤坂宿お休み処で考えます。

    次の宿場、御油には松並木が残っているそうです。
    しかし、真っ暗の中で松並木を観ても面白くはないだろう?

    日没ゲームオーバーで、ここまでとします。

    尾張赤坂からは名鉄名古屋本線で、ほんのちょっとで豊橋。

    岡崎での観光を含めて歩いた距離は25Km。
    江戸時代の人は一日に35〜40Kmは歩いたといいます。
    岡崎城見学を終了して歩き始めたのが、もうお昼近かったし、観光しながら5時間で25キロなら、こんなものかな。

    こうして、第一次小田原攻めは失敗に終わったのでした。

    東海道を歩いて再度思ったのは、
    さほど歴史は残っていない。
    だから歴史探訪の観光と考えるとがっかりする。
    自転車とかランニングとか、距離を楽しむ人たちによいのかもしれない。

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    箱根越え 2016年12月19日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    宿題を果たしていないのは承知している。宿題とは東海道の

    箱根越え

    こんなところが何で残っているかといえば、
    車でもタクシーでも何度も通っているしなあ・・・いまさら歩いてもなあ・・・
    そこで一句、「箱根八里は車でも越すが、越すに越されぬ徒歩の道・・・

    来春、駿河湾に進出したいので宿題をやることにした。
    早起きしたのにやる気が出ず、出発する段になって
    しまった遅くなりすぎた・・・
    そこで小田原まで新幹線を使う。

    小田原って良い所だと思う。海は近いし山も近い。さらに適度な大きさなのでまとまっている。

    小田原についても、まだやる気が起きないので、小田原城を見物してからにしよう。

    ここ、しばらく後北条家の話を読んでいた。
    大和から出てきて今川の兵力を借りて固めたのが伊勢氏、後の北条早雲。
    公平な税と負担により市民からの支持は高かったのだそうだ。

    しかし、周囲の領主からは
    けっ、西から出てきた新参者が占領しやがってよ
    と小馬鹿にされたので、伊勢氏から北条氏へと勝手に改名する。

    そうして五代続く。この五代の後継者たちも暗愚ではなく、なかなか聡明な領主であったようだ。
    聡明な領主が五代も続くなんて珍しいこと。奇跡に近いだろう。
    ほとんど関東一円を制覇した北条家であったが、秀吉による征伐であっというまに消滅してしまう。

    良い国を造ることと、軍事は別なんだなと考えざるを得ない。
    当時、最先端の国アテネを占領したマケドニアのアレキサンダー大王。一千年の基礎をあっというまにナポレオンに破られたベネチア。明やら宋やら枚挙に暇がない。
    などと考えながら、いよいよ箱根に向かう。

    ところで駅前で、「ちゃんと歩ける東海道五十三次」という本を購入した。
    20161219123537089_0001.jpg
    以前から地図上で旧街道を調べまくっていたのだが、この本があれば一気に解決だな。

    それで、この本に従って歩くのだが

    「いまいち、楽しくない・・・」

    原因は、小田原・箱根だけあって通行量の多い国道1号線をずっと歩くためだ。

    小田原市街をはずれ、早川の側を歩く

    小田原用水取水口

    降りてみた。

    おお、なかなか美しい
    「もう、ここだけで良いのではないか?」という気がしてきた。

    このへんはひたすら車道の脇の歩道を歩いて、

    やっと見えてきた箱根湯本駅。

    一度、駅まで行ってしまったけれど、旧道は手前の三枚橋というところを渡らなくてはいけない。

    目印はこのらいおん歯科という看板だ。

    ふむ、ライオン歯科で治してもらったら、どういう出来具合になるんだろう。

    もっと犬歯尖らせますか?」 とか 「前歯をあと4cm長くしてください」とかになるんだろうか?

    この三枚橋を渡って、右岸に移ると旧道らしくなる。

    というか、車だってきつい坂だな。
    白山神社だの早雲寺だの正眼寺だのを横目で見ながら、歩くと、石畳入口に達する。

    ようやく、古道の雰囲気になった。

    しかし、これも寸断されていてすぐに県道に復帰。

    しばらく歩いて女転ばし坂に至る。
    ここからやっと登山道だ。

    静かな山道に見えるが、すぐ上は箱根新道で、車の音が常に聞こえている。

    東京電力の発電所脇で渡渉する。

    この辺は東京電力の敷地らしいが、尾瀬だって東電の持ち物だし、まだまだ売り物持っているよなあ。

    石畳の道なんだけれど、この石畳、歩きにくいわ滑るわで、いまいち快感でない。

    羊腸の小径は、苔滑らか・・・

    んで、出たところは畑宿

    村の外れには、復元された一里塚があって当時を忍ばせる。

    ここから再び山道となる。旧道を歩きたい方は、この畑宿からで十分な気がする。

    この石畳も現道に寸断されていて、結局、車道歩きが長い。

    そうして、出たところが、

    旧道上、一番景色が良いと言われる見晴らし茶屋

    芦ノ湖の関所まで行けない時間ではないけれど、

    「もういいや、あの茶屋で蕎麦食べて帰ろう・・・」

    また峠を越せなかったんですかい?

    と、中途半端な終わり方になってしまったけれど
    これでも16Kmは歩いている。もう少し暖かくなったら沼津まで足を延ばしたい。

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    三島から田子の浦へ駿河湾を走る 2018年09月06日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    なんの脈絡も計画性もなく、三島までやってきました。

    強いて挙げれば、青春18きっぷを余らせてしまったこと。
    東海道の続きを走ること。ぐらいのものでしょうか。

    ただし、予習もしていないので、旧東海道がよくわかりません。
    旧街道を走らなくても、夏の終わりの海を見ることができれば、それでいいやと気分になっています。

    三島の駅は降りると、楽寿園という庭園が眼前にあります。

    郷土資料館というのを見ていこうかと思っていましたが、この楽寿園という庭園の奥にあるそうで面倒じゃんか。
    パスして沼津に向かいます。

    おおよそ旧街道は、道の両側に神社仏閣が多い。

    だから地図上でそれらしい道を選んだのですが、予想は外れたようです。

    道が広い割に車がキープレフトしているので走りにくい。

    町中を通るのをやめて狩野川沿いに進みます。

    こっち側は、もう今川氏の領分なんだよな。
    DSCN9924.jpg
    中心部をパスして沼津港に出ました。

    港をぐるっと回って港口公園というところから駿河湾に出ます。

    おお太平洋だ。

    さすが台風明けの日。波が高い。
    波が高くなくても「遊泳危険」だそうです。

    風雨に晒されて「遊泳厄除」になっているところがありました。
    いまさら気づきましたが、厄除=危険、似てません?

    堤防の陸側は松林

    相模湾と違って、大した構造物もないし開放感がすごい。

    走っても走っても、同じような風景が続くばかり・・・

    海側には、ところどころ釣り船の待合所があるぐらいのもの。

    太平洋岸のサイクリングロードに出てしまえば、距離の稼ぎ放題だと思っていましたが

    かっ、風が強ええ・・・

    まっ、前に進まん・・・
    濃密なゼリーの中を突進するような気分
    曇っているように見えるのは、波しぶきが堤防までかかっているから。

    堤防の下のほうが弱いかと一段下を走ります。

    うーむ。変わらん。

    台風一過だから、時間が過ぎれば弱くなるだろう。

    ますます強くなるばかりです。

    陸側の散歩道を走ってみたりもしましたが、遅々として距離は稼げません。

    富士川河口ぐらいまで行きたかったけれど ムリっぽい。

    サイクリングロードの終点に公園がありました。

    この先は、田子の浦港で、道が切れています。

    ここで、終点としましょう。

    田子の浦って漁港というより工場が立ち並んでいるけど

    公害関係で、その名を聞いたような気もしますが、なんでしたっけ?

    港の根っこまで来たら、そこがJR吉原駅

    沼津で乗り換え、一気に品川まで帰ってきたのでした。

    やっぱり距離は稼げていなくて、
    走行距離32km。

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    田子の浦から清水港 2018年09月10日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    いつかは旧道制覇してみたいとも思いますが、最近はあまりこだわっていません。
    というのも石畳が残っているのは箱根などごく一部で、国道1号という超現代的な道に改修されているところがほとんどですし、文化財的にも一里塚とか本陣とか松並木がその名残を残すのみ。
    だったら、海とか山とか自然を眺めながら走れる方がいいやという気分になっています。

    ところが今回は調べてあります。
    地図を見ると由比あたりの海岸線には東名や国道、鉄道やらが密集し、楽しく走れないのではないか。
    それなら、旧道を行ったほうが楽しいのではないかと考えたわけでした。

    前回終点となった吉原駅です。

    どこかでコンビニにでも寄って朝食と昼食を調達しなくちゃなりません。
    南口にはなんにもなくて、昔ながらの雑貨屋さんがあるのみ。
    DSCN9991.jpg
    プルームテック」ってカタカナで書くと、なんか新鮮だな・・・

    旧街道は駅の北口方面から線路の北側を通っていたようですが、私は無視して海沿いをいきます。

    田子の浦港を巻いたところで食堂見っけ。

    観光客用のお値段みたいですが、記念にはなるでしょう。

    味噌汁の中にまでシラスが入っていましたが、しらすなら魚臭くならないんだなと知りました。

    さて、海岸を目指します。

    今日は、風が強くない。ないわけじゃなくて通常営業ぐらいのもの。それより今日は日射がツヨイ。

    富士川河口を目指します。

    前回と同様、どこまで行っても海岸状態で、吉原から富士川なんてすぐだと予想していたのがはずれました。

    おっ、砂浜が広くなってきた。河口かな。

    富士川

    富士川というと、パニックになるほど鳥が沢山いるイメージっだったのですが、まったくいねえな。

    再び対岸の海沿い。

    しばらく行くと、国道1号線が幅寄せしてきて、走れなくなってしまいます。

    幸い国道の下に道があり、日陰にもなっているので、これを走ります。

    さらに、東名も攻めてきて、ついに走る道がなくなりました。

    一般道に降りて、踏切を渡り街中に出ます。

    ちょっと行けば、由比の旧街道。

    本陣跡には、広重博物館が併設されているようです。

    確かにな・・・
    どこの本陣跡でもせいぜい古い門構えが残っているぐらいのもの。
    博物館を建ててしまえば観光名所の一つになるわな。

    しかし、由比の駅はしょぼかった。こいつも本陣構えにしちゃうとか・・・?

    さて、ここから本日のメインイベントが始まります。

    薩埵峠越え
    20180909.jpg
    地図を見ると由比あたりの海岸線には東名高速や国道1号さらにJRなどが密集し迂回できそうな路地もなさそうで、車に追い立てられながら走るのは楽しくなさそう。
    それなら、名所といわれる旧道を行ったほうが楽しいのではないかと考えたわけでした。

    最初は旧街道の続きで、細い道の両側に家が立ち並び

    一里塚跡もありました。

    もう少し登ると、周囲はみかん畑となり

    もはや漕ぐのは難しくなって、押して登ります。

    登っただけのことはあり、この景色

    もっと良ければ、あの雲の先に富士山が顔を出しているはず。

    清水側は、国道や東名、東海道線とのコントラストが強い。

    この風景が見たかったんだよね。

    舗装路の終点はトイレがあり、駐車場になっていますが、

    私は自転車を抱えて、ハイキングコースに突入します。

    地図で見ると、大した距離じゃないし、高度差もなさそうだったので・・・。
    この道、良いわ・・・!
    DSCN0125_20180910171541b42.jpg
    降りてきたところは墓地になっていて、ここから舗装路復活。
    DSCN0136.jpg
    興津の駅を過ぎて、清水に突入。
    DSCN0141_20180910171544897.jpg
    清水エスパルスの本拠地を越えて、三保の松原を目指したのですが・・・
    DSCN0143.jpg
    体調不良・・・
    しばらく前から頭痛がしていて
    これは、熱中症か脱水症に違いない。
    DSCN0145.jpg
    しばらく休んでから、
    無理をせず撤収することに決めました。
    DSC_7458.jpg
    清水駅も東側は何もありません。
    ただ、朝は見えなかった富士が顔を出しています。
    DSC_7460.jpg
    今日が青春18きっぷの最終日。
    二日分余らせてしまって、超お得にはなりませんでしたが元はとりました。
    しかし、青春18きっぷって各停しか乗れないから行動時間が制約されてしまうのが難点。
    静岡駅ともなると新幹線でも東京駅から7つも先。もはや利用は難しいかもしれません。

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    薩埵峠(興津側)から静岡へ 2018年09月13日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    夕方から仕事があるので、残念ながら一日中遊んでいられません。
    前回の終点だったのは清水。今回、降りたのはひとつ手前の興津の駅
    DSCN0154.jpg
    なぜかといいますと、前回のGPS記録を見ていいて、

    薩埵峠から降りてきたところ、なんでこんなに迂回しているんだろう。
    興津の駅への標識があったのも原因ですが、他の人の記録でもそうなっていました。

    地図を眺めてみると、細いながらも道がある。
    20180912-4.jpg
    一駅だから確かめてみましょう。

    興津の駅から、旧東海道を薩埵峠方面に向かいます。
    少し行くと国道1号にぶつかります。
    国道を走ってはいけません。歩道は海側にしかないし、海側から山側に渡る横断歩道もトンネルもありません。

    興津川の橋を渡って少し行くと東海道線の踏切があります。

    踏切を渡ってやや左方向に直進。

    すると斜面に沿う道が現れるので、これを登っていけば、

    海岸寺だとか白鬚神社の参拝口を横目で見ながら薩埵峠の入口にたどり着きます。
    登りは押すことになるでしょうが舗装で自転車通行可のレベル。

    「なんとか中道」という看板もあったので昔の道はこれなんでしょう。

    徒歩や自転車なら、こちらのほうが圧倒的に早い。

    ついでにもう一度、薩埵峠を登ってみます。

    いや、ほら、富士山見れなかったし、写真に撮れればよいかと・・・

    微妙・・・戻って再びサドルに跨がります。

    ちょっと遊びすぎたかもしれない・・・
    興津駅を越え、清水駅を越え、前回の到達点を越え進みます。
    仕事が大前提だもんな・・・

    仕方がないので、今回も「三保の松原」をパスします。

    そりゃ天女が脱いでいる保証でもありゃ、吝かではありませんが。

    いよいよ苺街道に突入します。

    ここから静岡市まで、ずっと苺のビニールハウスが立ち並ぶというところ。全国屈指の生産量だとか。

    太平洋岸自転車道というのがありましたので、それを走りますが、

    砂は積もってハンドルとられるし、なにも考えずに飛ばせる道ではないですな。
    イタリアの古代ローマ街道も、東海道も、道を作るだけじゃなくて維持するのが大変だったといいます。
    久能山の麓に来ました。

    以前に日本平から降りてきて、ストロベリーソフトを食べたところ。
    上にもいちご、コーンの底にもいちごでうまかったなあ。

    開いていいるお店で作ってもらったのですが、

    上に冷凍イチゴが一個載ってるだけ・・・
    考えてみれば、今はシーズンじゃないもんな。

    さて、苺に後ろ髪を引かれることなく静岡駅に向かいます。

    本当は焼津まで行きたかったのですが、仕事を考えれば新幹線が止まる駅のほうがよろしかろう。

    安倍川に着きました。
    DSCN0214_2018091410544088e.jpg
    これを遡上して駅に向かいます。

    安倍川、この荒れ具合といい

    上流の山の雰囲気といい、好みかもしれない。

    今回、コストパフォーマンスは悪いものの
    総移動距離40km。
    時間がない割にまずまずでしたか。

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    箱根越え2 2018年10月18日 旧街道 トラックバック:0コメント:0

    午後が暇になりました。
    「よしよし、朝一番の仕事が終わったら、そのままどこかに行こう・・・」
    仕事先が小田急線沿線なので、まずは箱根に行くことにしました。
    何度も行っているにも関わらず、まだ峠を越えていないところ・・・

    困ったのは通勤に使っている自転車。
    置いていくのも困るし、帰りに寄るのもめんどくさい。
    サイクリングにするか?

    小田急線、登山鉄道と乗り継いで降りたのは箱根湯本駅。

    目指す場所は芦ノ湖の手前の見晴らし茶屋。前回ここまでは来ていますので・・・

    旧道沿いの、ここに降りるには湯本からのバスしかないのでした。

    地図上では比較的なだらかな等高線にあるので、押して歩く分には可能だろうと判断したのですが、失敗したみたい

    16インチだと車輪が石の間に挟まり、押して歩くことすらできません。
    押して歩くよりは担いでいるほうが長い気がします。

    途中ですれ違ったのは白人さん8人、日本人1グループ、中国人1家族でしたが、
    白人のおじさんには、
    「お前、この道を自転車押すなんてアホだろう」みたいなことをいわれてました。
    「失礼なっ! ここは日本の "The most famous main road"であるぞ」
    と反論するわけもなく、「おお疲れたよ」と挨拶。

    山道ならまだ良いのですが石畳は最低です。
    石畳は滑ります。押すべき人間様が滑って押しきれない・・・
    「そうか、昔の人は草鞋だったんだな・・・」

    やっと屏風山の麓に出ました。

    旧道はここから屏風山を巻くようについているようですが、

    今までに比べ等高線がきつい。
    諦めました・・・
    お玉が池の方に舗装路を行きます。

    「おお、峠を越えたか?」

    お玉が池

    お玉が池とは、関所破りをして斬首されたお玉の首を洗ったところだといいます。
    可哀相になあ・・・
    他に手立てはなかったのかなあ。やっぱりバリエーション好きだったのかなあ。

    そうして出たのは元箱根港

    何か食べようと思っていたのですが観光々々しすぎていて諦め、セブンイレブンに入ります。

    さて、後半戦。

    三島方面に向かいます。

    こちら側も旧道の石畳は発掘され整備もされているのですが、如何せん調べていません。
    時間もありませんので国道一号線を行きます。
    DSCN9844.jpg
    箱根峠に着きました。

    この自転車で押しもせず、登りきりました。

    国道一号線をひたすら下ります。

    漕ぐのは全く要らず、ブレーキを握りしめ下ります。

    ずっと下っていると風に吹かれて寒くなってきたので上着を着ます。

    そして、とうとう三島駅

    とりあえず箱根峠は越えたものの・・・

    あまりに、旧道の取り残しが多い・・・というか旧道まったく走っていない!
    やり直しっ!

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